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700投稿目は木花咲耶姫命にご縁を感じてる自分には特別な場所である宮崎県の都萬神社へ✈️
毎年7月7日に更衣祭といわれる特殊神事が行われるとのことで更衣祭当日7月7日に参拝してきました。
1年間御身像に着装していた着物で作ったという有難いお守りと更衣祭先着限定20枚と言われている木花咲耶姫様の御神像の写真の入った幻の御朱印も一緒に拝受する事ができました。
お守りはあまりにも神々しくて身に付ける事も出来ず妻の写真の横に置かせていただきました😅
家宝にします😆
海外からテレビ局の取材も来ており、厳かな雰囲気の中にも木花咲耶姫の暖かさに満ちた場所でした。今度は兼務社も含めてゆっくり訪れてみたいと思います。
宮崎県の中央部・西都市にある都萬神社は、創建は定かではありませんが、「続日本後記」の中で、仁明天皇の時代、承和(じょうわ)4年(西暦834年)8月の条に記載されているほど、古く由緒ある神社のひとつです。
日本で最も古いと言われる「古事記」の中で、邇邇芸命と木花開耶姫命が、日本初の「結婚式(婚礼儀式)」を行った場所で、嫁入りをそのまま再現する神事が、毎年7月7日に行われている「更衣祭(こういさい)」です。木花開耶姫命の御神像に婚礼衣装をお着せし、お化粧や角隠しで花嫁姿になって頂くものです。このことから、「恋愛がうまくいく!良縁にめぐりあえる!」神社としても有名で、多くの女性が訪れています。
国府に赴任した国司は、国内の神社に巡拝するのが習わしでしたが、それを簡略化するために、各神社に祀った祭神を1ヶ所に集め、国府近くに築かれたのが総社です。
その総社だったと推測されているのが都萬神社。
近くに西都原古墳群があることからも、この地が古代から拓かれ、律令時代の始まりとともに日向国の中心地だったことがよくわかります。
しかも西都原古墳群のひとつ、女狭穂塚(めさほづか)は、木花開耶姫命陵墓として宮内庁陵墓参考地となっています。
木花開耶姫命は、現在では縁結びの神様としても有名。
7月7日に斎行される『更衣祭』は、神像に着付けや化粧を施し、祭神・木花開耶姫命の入内までの様子を再現する特殊神事。
当社の特殊神事に約五百年前より続いている更衣祭(七月七日に斎行することから七夕祭とも呼ばれる)という日本でも大変珍しいお祭りがございます。天孫瓊瓊杵尊は木花開耶姫命を妻にと思召しになられましたが、天津神と国津神との結婚とのことで、事勝国勝長狭神を仲人に立て婚姻の儀礼を行いました。そのお嫁入りされる時の古事そのままの姿をおつくりし、晴れの婚礼衣装を木花開耶姫の御神像にお着せ申し白粉や口紅をつけ角隠しの帽子をかぶせ花嫁姿になられる有様を生でじかに行うゆかしい神事で、この神事が我が国婚礼儀礼のハジメであると社伝にあります。当日は午後三時まで全く可愛らしい清らかな姿を御神殿正面に御遷座申し上げその間一般参拝者に拝観が許されます。この日に奉納される白衣の枚数によってその年の豊凶や天候が占われます。更衣祭前日には高鍋町の堀之内まで浜下りをして、禊を行い、古来より磐座とされる斎場に於いて神事を斎行し、明くる日の祭典に備えております。禊には神職だけでなく、氏子崇敬者をはじめ新盆を迎えられる家庭の方にも参加いただいております。都萬神社では、禊をすることにより、黒不浄の穢を祓い清める意味合いがあるとともに、心身を清めて故人の御霊をお迎えする習慣となっており、新盆を迎えるご家庭の方にご参加いただいております。さらに海岸に流れ着いている黒い石は黒不浄を清めるといわれており、藁で作った藁苞に納め、家庭に持ち帰って頂いております。それをお風呂につけて入ることにより、心身を清める禊の意味合いがあるとされており、各家庭においては御霊をお迎えする盆前にお風呂に入れて頂いたり、家のお清めに飾って頂いたりしております。
御神衣御守
更衣祭限定御朱印
こちらから観ると老木の姿が、大迫力となっています。
長年、幾多の災害を受けながらも、そして、幹が空洞となろうとも、今もなお青々とした葉を茂らせた、妻のクスの生命力の強さに、
パワーを貰えます
アイコンの写真の楠木です
御神像の木花咲耶姫命
都萬神社の更衣祭
早朝参拝後に木花咲耶姫の御陵墓とされている西都原の女狭穂塚を訪れ、お昼前に都萬神社を再び参拝
七夕の日、都萬神社では、コノハナサクヤヒメと天孫ニニギノミコトが逢初川で初めて出会い、長狭神(ナガサノカミ)の媒介によりお嫁入りした古事を再現する神事が行われます。室町時代以前、500年も前から続いている伝統の神事です。
御神体のコノハナサクヤヒメは嫁入りにあたり、真綿の御被衣(おかつき)をかぶり、紅や白粉で化粧を施し、婚礼衣装である真っ白い衣に着替えます。氏子さんたちから寄せられたこの衣の枚数で、その年の寒暖と豊作を占います。最後は神楽が奉納され、この日、訪れた人は15時頃までヒメのお顔を拝見することができます。
以下は都萬神社の案内を抜粋
当社の特殊神事に約五百年前より続いている更衣祭(七月七日に斎行することから七夕祭とも呼ばれる)という日本でも大変珍しいお祭りがございます。天孫瓊瓊杵尊は木花開耶姫命を妻にと思召しになられましたが、天津神と国津神との結婚とのことで、事勝国勝長狭神を仲人に立て婚姻の儀礼を行いました。そのお嫁入りされる時の古事そのままの姿をおつくりし、晴れの婚礼衣装を木花開耶姫の御神像にお着せ申し白粉や口紅をつけ角隠しの帽子をかぶせ花嫁姿になられる有様を生でじかに行うゆかしい神事で、この神事が我が国婚礼儀礼のハジメであると社伝にあります。当日は午後三時まで全く可愛らしい清らかな姿を御神殿正面に御遷座申し上げその間一般参拝者に拝観が許されます。この日に奉納される白衣の枚数によってその年の豊凶や天候が占われます。更衣祭前日には高鍋町の堀之内まで浜下りをして、禊を行い、古来より磐座とされる斎場に於いて神事を斎行し、明くる日の祭典に備えております。禊には神職だけでなく、氏子崇敬者をはじめ新盆を迎えられる家庭の方にも参加いただいております。都萬神社では、禊をすることにより、黒不浄の穢を祓い清める意味合いがあるとともに、心身を清めて故人の御霊をお迎えする習慣となっており、新盆を迎えるご家庭の方にご参加いただいております。さらに海岸に流れ着いている黒い石は黒不浄を清めるといわれており、藁で作った藁苞に納め、家庭に持ち帰って頂いております。それをお風呂につけて入ることにより、心身を清める禊の意味合いがあるとされており、各家庭においては御霊をお迎えする盆前にお風呂に入れて頂いたり、家のお清めに飾って頂いたりしております。
男狭穂塚はニニギノミコト、女狭穂塚はコノハナサクヤヒメの御陵であると伝えられ、古代ロマン感じる伝説が数多く残されています。
「男狭穂塚・女狭穂塚」について
男狭穂塚と女狭穂塚は、1895年(明治28年12月)に陵墓参考地に指定され、天皇家の御陵墓として宮内庁により管理されています。そのため特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲には入っていません。男狭穂塚は、墳長154.6m、高さ19.1mの国内最大の帆立貝形古墳ともいわれており、二重の周溝をもっています。また女狭穂塚は、墳長176.3m、後円部長96.1m、高さ14.6mの前方後円墳で九州最大規模を誇っています。
毎年11月の「古墳まつり」2日目の日曜日には年に一度の特別参拝が行われておいます。
名称 | 都萬神社 |
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通称 | 妻萬さま |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》木花開耶姫命 |
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ご由緒 | 続日本後記でも記録にあり、奈良時代には存在していたと思われる。明治に県社に列せられ、古来からの尊敬が衰えることはなかった。 |
体験 | 祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三御朱印お守り祭り伝説 |
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