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築土神社参拝⛩️
築土神社の創建は天慶三年(940)。平貞盛、藤原秀郷らによって下総国猿島で討ち取られ、京都でさらし首になっていた平将門の首を首桶に入れて盗み出し、「津久戸明神」として祀ったのがはじまりと伝わっています。この時の首桶は御神体として保存され、江戸時代の記録では中に入ってる「首」も腐らずに安置されていたとか、首桶は見ると目が潰れるので宮司でさえ簡単に見る事が出来なかったなど、様々な伝説が残されています。
残念なことに、昭和二十年(1945)の戦災で焼失してしまいましたが、「将門の首桶」の写真は残っており、祀られていたことは事実だといわれています。境内の相殿には、同じく日本史の中で怨霊として名高い菅原道真公も祀られていて、学業成就や合格祈願などで、近くの学校の生徒さんもよく訪れます。
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平将門公がお祀りされている、日本武道館の守護神でもある武運長久の神社です。

昭和二十年(1945)の東京大空襲で、社殿、平将門公の首桶、肖像画、木像などの社寶がすべて焼けてしまったそうです。昭和二十九年(1954)元の社地の近くで、今は境内社となっている世継稲荷神社の境内地に移転再建されました。

町の再開発などもあり、境内地にオフィスビルが建設された平成六年(1994)新たな社殿が建設されました。


東京大神宮、桐生稲荷神社のあと、徒歩でお伺いしました。歩いてる途中、日本武道館が綺麗に見えてました。
九段下駅からすぐ。
ウィキペディアより一部引用
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江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。
拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶(文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。
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九段下駅より徒歩2分程の所にご鎮座されています。約1年ぶりの参拝です🙏
旧称は津久戸明神といいます。もと上平川観音堂の近くにあり平将門公の霊を祀ると伝えられています。
室町時代に太田道灌により田安郷へ移転させられて「田安明神」とも呼ばれ、江戸三社の一つに数えられることもありました。
田安明神と呼ばれる前は「江戸明神」と呼ばれた時代もあります。
元和2年(1616)に江戸城の拡張工事により築土八幡神社隣接地へ移転し「築土明神」と呼ばれました。
昭和20年、東京大空襲により全焼。この時、将門公の首級を収めたという銅製六角の桶、神体の将門木像も焼失しました。
戦後、世継稲荷神社境内に移転し現在地に鎮座します。
(参考・参照)
・関東中心平将門伝説の旅 下巻
・Wikipedia

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