たまひめいなりじんじゃ
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楽しみ方玉姫稲荷神社のお参りの記録一覧
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台東区の辺りを回る循環バスを使い、こちらに来てみたのですが…あまり手入れされていなさそうです。
大きさや、建物の様子から察するに、以前は宮司さんがいてこの辺りの商店が、氏神さまとしてお祀りしていたのだと思います。
おそらく賑わう、活気に溢れた場所だったのでしょう。
しかし、月日が流れ町も人も変わり、商店街もほぼシャッターが閉まっていました。
今は神社やお寺を継ぐ方がいないところも多く、このような場所は増えていくのでしょうね…
宮司さんがいなくなっても、地元の方で綺麗にして盛り上げて行けると良いのでしょうが、お年寄りが多くなかなかそうも行かないというのが現実かもしれません。
本殿の前の日陰で、初老の男性が座って休憩していました。
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25.03.31。先の松吟寺より徒歩5分。台東区清川2丁目の住宅街に鎮座。
御祭神 宇迦之御魂命
創建年 天平宝字4年(760年)
社格等 旧村社
【由緒】〜Wikipedia より引用〜
武蔵国豊島郡王子村(現•東京都北区)の王子稲荷神社とも関係があるという。また新田義貞が北条高時を追討すべく、鎌倉に追撃(鎌倉の戦い)する際に、当社で祈願したという故事もあり、かなり歴史ある神社である。
昭和20年(1945)の東京大空襲で全焼した。昭和28年(1953)に社殿が再建された。
境内に桜が見られ良い感じでした。残念ながら社務所等が工事中みたいで無人のようすでしたので御朱印拝受は叶わずでした。
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玉姫稲荷神社は、760年(天平宝字4年)の創建と伝えられ(新編武蔵風土記稿を参照したが、文献により不詳とされているケースもあるため諸説)、新田義貞が鎌倉に進撃する際に戦勝祈願をしたという歴史を持つ、由緒ある神社です。武蔵国豊島郡王子村(現在の東京都北区)の王子稲荷神社との関係も指摘されています。
1945年の東京大空襲で全焼しましたが、その後再建され、現在も地域の信仰を集めています。
靴のめぐみ祭り市: 毎年4月と11月には、地場産業である製靴業者の協力のもと、「靴のめぐみ祭り市」が開催されます。靴の大安売り市や、古靴の供養などが行われ、地域の人々でにぎわいます。
口入稲荷神社: 境内には、かつて遊郭へ遊女を斡旋していた業者に祀られていた口入稲荷神社があります。
新編武蔵風土記稿: この古文書には、玉姫稲荷神社の由緒や、新田義貞との関わりなどが詳しく記されています。

天平宝字4年(760)、京都・伏見稲荷大社より御分霊を勧請し創建されたという。
正慶2年(1333)に新田義貞公が鎌倉の北条高時追討の折に当社で戦勝を祈願し、弘法大師直筆という稲荷大神の像を瑠璃の玉塔に奉納したことが「玉秘め」の社号の由来となったとされる。
江戸時代に発刊された地誌「江戸砂子増補」によれば、王子稲荷神社と神縁があるとも伝わる。
また「江戸名所花暦」「江戸名所図会」など、著名な地誌にも当社の記載がある。
明治44年(1911)に新吉原で発生した大火や大正12年(1923)の関東大震災、さらには昭和20年3月10日の空襲によって社殿はたびたび焼失しており、現社殿は昭和27年5月に再建された。
当社の氏子には地場産業である製靴業者も名を連ねており、毎年11月に「靴のめぐみ祭り市」と題して、靴の大安売り市が開かれている。


西日暮里から一駅歩き、日暮里駅からバスであしたのジョーで知られる泪橋(思川に架かる橋だが、暗渠になっており橋とはいえず地名のみ)を通って公園に隣接した玉姫稲荷神社神社に到着。この辺りは台東区で、地図を見ると浅草が結構近かったりする。隣接する公園にはホームレスの小屋があったりするが付近にトイレもあり住むには環境が良いのかも。日本は大乗仏教が多いがまだ貧困に悩まされる人が多いのは何故だろうか?心境には大乗仏教に対応する思想もあると思うが、思うに現在の宗教はここのの内面を重視し、即物的な面は行政が担うのであろうか?何以下もやもやを抱えながらの参拝でした。肝心の神社は境内は駐車場になっており、開放的な雰囲気、鎮守の杜もない。稲荷神社としては華美なところはない。本日は御朱印対応は無く、どうやら毎日ではないらしい。
SNSでも情報はなく、御朱印を希望する方は事前に連絡を入れたほうは良いのかも。
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