きば すさきじんじゃ
木場 洲﨑神社東京都 木場駅
社務所9:00〜17:00
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楽しみ方
東京メトロ東西線「木場」駅から徒歩で2分のところに鎮座されています。
参拝中は生憎の雨だったのですが、「しとしと」という表現がぴったりな雨で、決して不快な感じはせずどちらかというと、「祓いの雨」という感じがしてむしろ心が清められる感じがしました。
朝早い時間の参拝だったのですが、地元の方が境内を近道として利用されているようでした。
ただ単に通り抜けるだけでなく、拝殿前でさっと頭を下げさりげなくお参りされる方が多く、地元の方々に愛されている神社なのだろうなと感じました。
<御祭神>
市杵島比賣命
元は広島の厳島神社の御分霊を斎祀して、洲崎弁財天社だったそうです。
洲崎神社HPには御由緒として以下のように記されていました。
「創立は徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の守神として崇敬するところとなり、元禄十三年江戸城中紅葉山より、此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっておりました。
当時は海岸にして絶景、殊に弥生の潮時には城下の貴賤袖を連ねて真砂の蛤を捜り、楼船を浮かべて、妓婦の絃歌に興を催すとあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所であったと伝えられており、浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。」
徳川綱吉公の生母桂昌院の幼名は「お玉」で、八百屋の娘として生まれたそうですが、武士・本庄家の養女となり、その後公家出身の尼僧の侍女として奉公。
あるとき将軍家への挨拶のため江戸城を訪れると、家光公が一目ぼれをして家光公の側室になることに。
そして綱吉公をお産みになられました。
このことが、「玉の輿」という言葉の語源になったとのこと。
手水舎
拝殿
阿形の狛犬さんはかなり険しい表情です
吽行の狛犬さんは今にも飛び掛かってきそうです
玉の輿 たまちゃん
於六稲荷神社
豊川稲荷神社
辨天
波除碑と津波警告の碑、名人竿忠の碑
木場駅から神社へ向かう途中、大横川に架かるこの新田橋を渡ります
下町感がとても感じられました
元禄13年(1700)護持院隆光大僧正のご尽力により、江戸城中紅葉山に五代将軍綱吉公の御生母桂昌院の守本尊である弁財天(弘法大師作)と稲荷社を祀り洲﨑弁天社と称した。以来当社は江戸の観光名所として栄え、明治の神仏分離の際洲﨑神社と改める。
歴史をもっと見る|| 名称 | 木場 洲﨑神社 |
|---|---|
| 読み方 | きば すさきじんじゃ |
| 通称 | 洲崎弁天・弁天社 |
| 参拝時間 | 社務所9:00〜17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 10分 |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 03-3644-1092 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://susakijinja.or.jp/ |
| お守り | あり |
| ご祭神 | 市杵島比売命 |
|---|---|
| 創建時代 | 元禄13年(1700) |
| 文化財 | 波除碑、川連虎一郎の碑 |
| ご由緒 | 元禄13年(1700)護持院隆光大僧正のご尽力により、江戸城中紅葉山に五代将軍綱吉公の御生母桂昌院の守本尊である弁財天(弘法大師作)と稲荷社を祀り洲﨑弁天社と称した。以来当社は江戸の観光名所として栄え、明治の神仏分離の際洲﨑神社と改める。 |
| ご利益 | 学問の神様・合格祈願商売繁盛病気平癒安産祈願・子宝厄除け交通安全家内安全勝負運 |
| 体験 | おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り |
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