すがわらじんじゃ
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三重県伊賀市にある神社です。
以前伊賀に訪れた際 伊賀上野を鬼の行列が巡回していたことを思い出し 確かここら辺だと歩いていましたら 大きな神社がありましたのでお参りしました。
街中の神社ですが とても立派な楼門があります。
楼門をくぐったら なぜか大きな鐘楼がありました。
どちらも県指定有形文化財に指定されています。
この楼門は元禄14年(1701)から宝永元年(1704)にかけて三代藩主藤堂高久が用木を寄進し建築事業が行われました。
この鐘楼は寛永4年(1627)2月25日建立 明治後期まで朝夕に打たれてきた 市街地最古の建物で大切な文化遺産です。
この日は あいにくの雨でしたが お宮参りの参拝者もいらっしゃいました。
鬼の行列は・・・というと
毎年10月23日~25日に行われる上野天神祭は 神輿の渡御に供奉する百数十体の鬼行列や 雅調豊かな祭ばやしを奏でながらこれに続く9基のだんじりに 400年の伝統を伝え 国の重要無形民俗文化財に指定されています。
これですね うちの子がぎゃん泣きしたのは。
当社のHPよりネット情報です。
当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主祭神とし 古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。
古くは天満宮と申し上げ又 天神宮とも称し 通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町6千戸の惣社であります。
文学の神様として信仰が篤く 合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。
又 伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。
古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが 天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。
初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ 大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ 城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。
当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され 境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え 明治維新に至って郷社に列せられ 次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。

正面石鳥居 後ろに楼門

扁額

由緒書

鐘楼

史跡 貝おほひ奉納の社

石碑





手水舎

拝殿

内陣

本殿横から

社務所

裏門入って

高倉稲荷神社


鎮霊社

🌼菅原神社(すがわらじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました❗️ 当神社は『上野天神宮』と呼ばれ、通称「天神さん」の愛称で親しまれています。🍁菅原道真公を主神とする神社で、旧上野町6千戸の産士神として、また文学の祖神として、あるいは牛馬の守護神として崇敬されています。
☘️菅原神社の創建は不詳ですが、古くは上野山(現在の伊賀上野城)・平楽寺の伽藍神(がらんがみ・寺院を守護する神)で農耕神祇に発祥する神々を祀る神社でしたが天正9年(1581)に起きた「天正伊賀の乱」の後、慶長16年(1611)藤堂高虎による城下町建設の際、この地に奉遷され城郭鎮守として祀られました。🌺400年余の歴史を有し、関西秋の三大祭の一つにも数えられるといわれる『上野天神祭』は、この神社に毎年10月に奉納される秋祭で、平成14年(2002)2月12日に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。🌸また上野天神祭のダンジリ行事が2016年12月1日(日本時間)に「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
👣所在地 : 三重県伊賀市上野東町2929
🌷「7th Avenue cafe(セブンス アベニュー)」 伊賀市上野丸之内、上野市駅の西、複合商業ビルの1階にあるカフェ☕️です。ランチに寄ってみました。メニューを見て悩んでしまいました。黒の伊賀忍者カレー、伊賀牛の焼き肉セット、エビドリアのセット、ハヤシソーススパゲティのセット、フルーツパンケーキセットなどなど。女性も男性も満足できるメニューのオンパレード❗️ トロトロオムライスのハヤシライスランチセットを注文しました。ハーフ&ハーフセットも人気があるみたいで、一つの器に、エビドリアとハヤシソーススパゲティが半分ずつ盛られていました。見た目以上にボリュームがあり、とてもおいしそうでした。あとはアフターコーヒー☕️が出てきておしまいと思いきや、コーヒーとコーヒーゼリーが出されて、想定外のうれしさでコーヒーが本格的で大満足でした。ご馳走様でした🙏🌷

御朱印 菅原神社(すがわらじんじゃ)⛩️
歴史
当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町8千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。
また、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。
古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。
当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。
歴史をもっと見る|菅原神社の基本情報
| 住所 | 三重県伊賀市上野東町2929 |
|---|---|
| 行き方 | JR関西本線「伊賀上野」駅乗継、伊賀鉄道上野市駅下車徒歩約5分
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三重県のおすすめ❄️
| 名称 | 菅原神社 |
|---|---|
| 読み方 | すがわらじんじゃ |
| 通称 | 上野天神宮 |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0595-21-2940 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》菅原道真,《配》天照大御神,伊邪那岐大神,建速須佐之男神,応神天皇,宇迦能御魂神,天児屋根命,建御名方神,大山咋命,速玉之男神,八王子,稲田比売命,安閑天皇 |
|---|---|
| ご由緒 | 当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町8千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。 また、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。 古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。 当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。 |
| ご利益 | 学問の神様・合格祈願 |
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