すがわらじんじゃ
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駐車場 | 数台駐車可 |
三重県のおすすめ🌸
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2回目です。
今回は伊賀上野城下町周遊コースのウォーキング中にお参りさせて頂きました。
境内には、江戸時代前期(1600年代後期)に建てられた『鐘楼』と、同じく江戸時代中期(1700年代前期)に建てられた『楼門』があり、共に平成5年(1993)3月8日に県の指定文化財に指定されています。
鳥居と楼門
江戸時代中期(1700年代前期)に建てられた『楼門』
江戸時代前期(1600年代後期)に建てられた『鐘楼』
手水舎
菅原神社の拝殿は、平成22年7月の火災で焼失してしまい、平成24年9月に新拝殿が再建されたようです
蛭子神社(恵比寿神社)の手水舎
恵比寿神社
伊賀巡り① 三重県の伊賀上野城周辺の寺社を訪ねました。まずはお城の近くの菅原神社にお邪魔しました。御祭神は菅原道真公です。別名は上野天神宮です。こちらは慶長年間に伊賀、伊勢両国を領地とする津藩の初代藩主になった藤堂高虎公に愛され、手厚い保護を受けました。さらに伊賀生まれの俳聖、松尾芭蕉にも深い縁があります。
鳥居と楼門です。
菅原道真公といえば、牛さんですね。
松尾芭蕉が初の自選俳諧発句合「貝おほひ」1巻を氏神様であるこちらに奉納し江戸に向かったそうです。
手水舎です。境内の砂利は全て掃き清められており、申し訳ないのでなるべく踏石を歩きました。
神社には珍しい鐘楼がありました。神仏習合ですね。
拝殿です。堂々とした造りです。
こちらでお参りです🙏
神聖な内部です。
あちこちに牛さんです。
本殿です。
摂社や
末社
があちこちに
ありました。地域に愛されています。
さらに上野天神祭は神輿やだんじりで賑わいます。
平成28年に上野天神祭がユネスコの無形文化遺産に登録されました🎊
〈オマケ〉最初に行った伊賀上野城です。昭和10年に復興されました。木造にこだわりました。
高石垣は30m、大阪城と並び日本最高とされています。上から見ると目まいがします😵💫
お城の隣にあるのが俳聖殿です。芭蕉生誕300年を記念して昭和17年に建てられました。
授与所で頂いた御朱印です。
歴史
当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町8千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。
また、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。
古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。
当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。
菅原神社の基本情報
住所 | 三重県伊賀市上野東町2929 |
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行き方 | JR関西本線「伊賀上野」駅乗継、伊賀鉄道上野市駅下車徒歩約5分
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三重県のおすすめ🌸
名称 | 菅原神社 |
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読み方 | すがわらじんじゃ |
通称 | 上野天神宮 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0595-21-2940 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》菅原道真,《配》天照大御神,伊邪那岐大神,建速須佐之男神,応神天皇,宇迦能御魂神,天児屋根命,建御名方神,大山咋命,速玉之男神,八王子,稲田比売命,安閑天皇 |
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ご由緒 | 当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町8千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。 また、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。 古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。 当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。 |
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