すいてんぐう
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楽しみ方水天宮のお参りの記録一覧
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水天宮へ参拝
水天宮は全国水天宮の総本宮です。
創建は、建久初年(1190)と伝えられ、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後、官女按察使局伊勢が筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て初めて水天宮を祀ったもので、後、慶安3年(1650)2代藩主有馬忠頼公の時、筑後川に臨む現在地になりました。 水にゆかりの社として海運守護神となり河童伝説との結びつきも伝えられ、信仰を集めました。 今は安産の神様としても知られています。 また、勤王の志士として後世に名を残した眞木和泉守はこの水天宮の神官でした。 境内には、彼の銅像と幽居した「山梔窩」の摸式家屋があります。 5月3日より7日まで開催される水天宮・春大祭は、安産・水難避け・子供の守護神の祭として多くの氏子や参拝客で賑わい、初夏の訪れを感じさせます。
御祭神の安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、椿の花が御神紋となった水天宮。ご本殿周辺は、現在も18種のツバキで囲まれています。




みなさんご無沙汰しております🙇♂️
1月末の長崎からかなり間が空いてしまいました😅
久々のお参りツアー初っ端は福岡県小郡市にある如意輪寺(かえる寺本家)でしたが… なっ なんとこの界隈ハーフマラソン大会真っ最中。
で目と鼻の先にみえるのになかなかコースになってる道路を渡れず疲れ果て目的地変更で久留米は水天宮にまいりました。
妻が東京に単独でコンサートに行った際時間調整で水天宮にお参りして、なんと全国総本宮が私達の住む福岡県は久留米にあると知り前からお伺いしたかった神社です。
ロケーションが凄く良くて筑後川が横を流れてます。
安徳天皇の母である高倉平中宮に仕えていた女官按察使局が壇ノ浦の戦の後遁れてここ筑後川の辺りで水天宮を祀ったとの事。
附属の保育園が隣接しており、日頃は園児の声が境内にも響いているんでしょうね。 そう言う事もあり子授かり、安産、初宮参り等子どもさんに関わる御祈願がパンフでもメインに紹介されてます。
この日も何組か初宮参りの赤ちゃん👶が! 可愛い💕 こちらも幸せにさせてくれます。 ありがとう😊

【筑後國 古社巡り】
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市瀬下町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。全国にある水天宮の総本宮。祭神は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院・平徳子)、二位の尼(平時子)。
社伝によると、平安時代末期の1185年、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年~1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まり。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里人に請われて加持祈祷を行ったことから当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ中納言平知盛の次男の子・平右忠が千代の元を訪れその後嗣としたが、これが現在まで続く社家・真木家の祖先。幕末志士の真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司で、境内社の真木神社に祀られている。
慶長年間(1596年~1615年)に久留米市新町に遷り、1650年に久留米藩2代藩主・有馬忠頼により現在地に社殿が建てられ遷座した。その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に9代藩主・有馬頼徳は1818年に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、これが明治の1872年に遷座して東京水天宮となっている。別途、1868年に元神明宮(東京都港区)に分霊され相殿に祀られている。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR鹿児島本線・久留米駅の西方300mの市街地の外れ、筑後川の東岸にある。境内は南北に200m以上と長く、境内南端から続く長い参道を進むと、大社らしい雰囲気をじっくり味わえる。大きな社殿の周りはシンプルな造りで、大きな社務所と境内社がいくつかあるぐらい。
今回は、福岡県の旧県社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人々の信仰も篤いようで、初宮参りなどの昇殿祈祷者を含め、多くの参拝者が訪れていた。
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