どたしらひげじんじゃ
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仕事帰りに寄り道お参り🙏
こちらは金幣社の白髭神社さん⛩️
流鏑馬神事で有名でニュースにも出ます!
神社の歴史は古く、940年に61代朱雀天皇の御代に、平貞盛によって草創されています。
平貞盛はその頃京都にいて父を平将門に殺されてしまったそうです。
その仇を報じたいと天皇に申し立て勅許され、関東に向かう途中に滋賀県で宿をとり、白髭大明神を遙拝し武運長久を祈願したところ、夢に翁が姿を現し、お告げをなさったそうです。
その守護を約束し、美濃国大炊戸の能官所に住まわせて欲しいということでした。
貞盛は大炊戸に立ち寄り能官所を求めんと祈ったところ、白猿が現れ貞盛を先導しその場所に着くと何処かへ消えたそうです。
貞盛は里氏に造宮を命じ鎮座を申し渡して関東へ向かいました。
これが白髭神社の起源です。
流鏑馬神事はそのずっとあとに始まったもので、1572年に土田城城主 生駒道寿(織田家家臣で信長公側室の生駒吉乃の一族です)が神社を改築した時に行われ、それから数百年続けられているとのことです。
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天慶3年(940年)に、平国香の長男である平貞盛が、平将門の乱を機に、父を殺した将門を討つべしと、天皇に申し出て勅許され、関東に向かう途中で、近江国の志賀郡の白鬚大明神に武運長久を祈願した。すると貞盛公の夢枕に白翁があらわれて「何時勇々しく忠孝の心信天地に応へたり 我汝の甲の鉢の内に姿を隠し勝利を得さすべし」とおっしゃり、美濃国の木曽川のあたりの大炊戸に能官所をつくるようにと言い残して姿を消した。それを聞いた貞盛公がこの地に立ち寄ると、どこからともなく白い猿が現れ、貞盛公を先導して官所にゆき、姿を消したため、この地に白鬚神社の造営鎮座を里氏に申し渡して関東に向かった。
土田白鬚神社の基本情報
| 名称 | 土田白鬚神社 |
|---|---|
| 読み方 | どたしらひげじんじゃ |
| 通称 | しらひげさん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》猿田彦大神,天照皇大神,建速素戔嗚尊,伊弉諾命,建御名方神,天御陰命 |
|---|---|
| ご由緒 | 天慶3年(940年)に、平国香の長男である平貞盛が、平将門の乱を機に、父を殺した将門を討つべしと、天皇に申し出て勅許され、関東に向かう途中で、近江国の志賀郡の白鬚大明神に武運長久を祈願した。すると貞盛公の夢枕に白翁があらわれて「何時勇々しく忠孝の心信天地に応へたり 我汝の甲の鉢の内に姿を隠し勝利を得さすべし」とおっしゃり、美濃国の木曽川のあたりの大炊戸に能官所をつくるようにと言い残して姿を消した。それを聞いた貞盛公がこの地に立ち寄ると、どこからともなく白い猿が現れ、貞盛公を先導して官所にゆき、姿を消したため、この地に白鬚神社の造営鎮座を里氏に申し渡して関東に向かった。 |
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