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西寒多神社ではいただけません
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ささむたじんじゃ

西寒多神社
大分県 大分大学前駅

社務所:09:00〜17:00

御朱印について
御朱印
あり

4月下旬から5月下旬頃にかけて、「藤の花」の印が押されたカラフルな御朱印をいただけます。

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

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to_sun
to_sun
2024年10月27日(日)
312投稿

西寒多神社(ささむたじんじゃ)】
 西寒多神社は、大分県大分市寒田に鎮座します。豊後国一宮。国幣中社。別表神社。豊後国一宮は、この西寒多神社と柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)の2社あるようです。
-祭神ー
・主祭神
①西寒多大神 (ささむたのおおかみ)…天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の総称。

西寒多神社(大分県)

【西寒多神社 拝殿】

西寒多神社(大分県)

【社号標】

西寒多神社(大分県)

【萬年橋】

西寒多神社(大分県)

【萬年橋】

西寒多神社(大分県)

【手水舎】

西寒多神社(大分県)

【手水舎の龍】

西寒多神社(大分県)

【鳥居】

西寒多神社(大分県)

【東廻廊】

西寒多神社(大分県)

【狛犬 阿形】

西寒多神社(大分県)

【狛犬 吽形】

西寒多神社(大分県)

【拝殿】

西寒多神社(大分県)
西寒多神社(大分県)

【拝殿 扁額】

西寒多神社(大分県)

【本殿】

西寒多神社(大分県)

【本殿】

西寒多神社(大分県)

【本殿】

西寒多神社(大分県)

【神庫】

西寒多神社(大分県)

【本宮山登山口】
 案内板があったので、気楽な気持ちで奥宮を目指しました。でも…、行けども行けども、奥宮にたどり着く気配がありません。ため池を過ぎたところで帰ってこられる方にたずねたところ、まだまだですよ。2時間くらいかかりますよ。往復でですか?いいえ、片道ですよ。えぇっ……。断念しました。後で調べると、近くまで車で行けるようでした。

西寒多神社(大分県)

【菅原社・大分社】

西寒多神社(大分県)

【精霊殿】

西寒多神社(大分県)
西寒多神社(大分県)

【振り返って見る鳥居】

西寒多神社(大分県)

【神楽殿(正面)】

西寒多神社(大分県)

【神楽殿(側面)】

西寒多神社(大分県)

【神楽殿 彫刻】

西寒多神社(大分県)

【鬼の歯形石】

西寒多神社(大分県)

【合併社】

西寒多神社(大分県)

【厳島神社】

西寒多神社(大分県)

【観音堂】

西寒多神社(大分県)

【藤棚】

西寒多神社の御朱印

【御朱印】

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例祭・神事

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歴史

社殿によると、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の際、本宮山に行幸し、四方の国々をご覧になり、そこに一本の白旗を御建てになり御帰りになられた。残された白旗を人々が敬い瑞垣を結び聖地として崇められるようになったとされる。やがて、応神天皇の御代になり、武内宿禰に勅を奉じになられ、応神天皇九年宮殿の建立に当たった。これが西寒田神社の始まりとされる。
さらに、藤原鎌足が百済救済のため豊前の国仲津郡まで来た際、霊夢のお告げにより西寒田神社に参拝し、老朽化した社殿を修築、太刀一振りと八幡舞面を奉納している。869年(貞観11年には朝廷より神階「従五位下」が授けられ『延喜式神名帳』で豊後の国唯一の式内大社とされた。
以後、大友家歴代からの尊崇を集めた。特に大友家第十代大友親世は社殿を現在の地へ遷座を行うなど崇敬を熱くしていたとされている。江戸時代になると「豊後国一宮」として称されるようになり、1871年(明治4年)には、「国幣中社」に列格。その後、社格制度の廃止に伴い「別表神社」として氏子・崇敬者の尊崇を受けている。

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西寒多神社の基本情報

住所大分県大分市寒田1644
行き方

JR肥後本線「大分大学前駅」下車 徒歩30分

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名称西寒多神社
読み方ささむたじんじゃ
参拝時間

社務所:09:00〜17:00

参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

4月下旬から5月下旬頃にかけて、「藤の花」の印が押されたカラフルな御朱印をいただけます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号097-569-4182
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://sasamuta.com/

巡礼の詳細情報

日本全国の一宮まとめ

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 西寒多大神
《配祀神》
 月読大神 
 伊弉諾大神
 伊弉冊大神
 大直日大神
 神直日大神
 八意思兼大神
 大歳大神
 倉稲魂大神
 軻遇突智大神
ご神体本宮山(西寒多山)
創建時代応神天皇九年
創始者武内宿禰
本殿流造
ご由緒

社殿によると、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の際、本宮山に行幸し、四方の国々をご覧になり、そこに一本の白旗を御建てになり御帰りになられた。残された白旗を人々が敬い瑞垣を結び聖地として崇められるようになったとされる。やがて、応神天皇の御代になり、武内宿禰に勅を奉じになられ、応神天皇九年宮殿の建立に当たった。これが西寒田神社の始まりとされる。
さらに、藤原鎌足が百済救済のため豊前の国仲津郡まで来た際、霊夢のお告げにより西寒田神社に参拝し、老朽化した社殿を修築、太刀一振りと八幡舞面を奉納している。869年(貞観11年には朝廷より神階「従五位下」が授けられ『延喜式神名帳』で豊後の国唯一の式内大社とされた。
以後、大友家歴代からの尊崇を集めた。特に大友家第十代大友親世は社殿を現在の地へ遷座を行うなど崇敬を熱くしていたとされている。江戸時代になると「豊後国一宮」として称されるようになり、1871年(明治4年)には、「国幣中社」に列格。その後、社格制度の廃止に伴い「別表神社」として氏子・崇敬者の尊崇を受けている。

体験祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り祭り武将・サムライ一の宮伝説
Youtube

Wikipediaからの引用

概要
西寒多神社(ささむたじんじゃ)は、大分県大分市にある神社。式内社(大社)、豊後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
歴史
歴史[編集] 本宮山 創建[編集] 「大分郡志」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという[1]。 この伝承から、当社は本宮山を神体山として成立したと見られている[2][1]。 概史[編集] 国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述である。『延喜式』神名帳では豊後国大分郡に「西寒多神社」と記載され、豊後国では唯一の大社に列した。また...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] バス:大分バス(ふじが丘行)で、「ふじが丘南」バス停下車 (北緯33度10分34.00秒 東経131度35分46.04秒、下車後徒歩約8分) 鉄道:JR九州豊肥本線 敷戸駅 (徒歩約30分)
引用元情報西寒多神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E5%AF%92%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102020479
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