ごじょうてんじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方五條天神社のお参りの記録一覧
絞り込み


【東京都 台東区】(ごじょうてんじんじゃ)
花園稲荷神社の境内から、いつの間にか五條天神社に移動しています。
後で知れば、特に決められた「境」はない様です。
そのせいか「手水舎」を間違えてしまいました。
こちらの五條天神社は「医療の神様」です。
病気平癒・無病息災はもちろんのこと、多くの医療関係者も参拝に訪れるようです。
自分のお子さんが医療関係に携わるような関係の方も参拝に訪れることと思います。
帰りがけに社務所に「今までお世話になりましたが、今後は来れなくなってしまいます。今までのお礼ですので皆様で召し上がってください。」とお菓子らしい包み箱を置いて行かれた女性がみえました。
観察していたわけではありませんが、ちょうど帰り口の鳥居でも一緒になり、その方の深い拝礼と何やら感謝らしい言葉を口にされているお姿が印象的でした。
きっと深いわけがあったのでしょう・・・。
自分も今後、神社や寺院に大きな力をいただいたり、お願いすることは多くあろうことかと想像します。
常に感謝の気持ちを忘れません。

表の鳥居以外に、花園稲荷神社からも階段で降りると境内があります。
神社メモHPより一部引用
https://jinjamemo.com/archives/gojotenjinja.html
↓
御由緒
当社は、景行天皇の御代(110年頃)、日本武尊が東夷征伐の為に上野忍ヶ岡を御通行の際、薬祖二柱に御加護をいただいた事に感謝し、茲に両神をお祀りなされましたのがご創祀であります。
堯恵法師の北国紀行に「正月の末武蔵野のさかい忍ケ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり」云々として記され、この正月は室町時代(文明十八年)とされております。
大己貴命は大国主命とも称され、須佐之男命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童話で知られている神様です。
少彦名命は、神産日神の御子で、蛾の皮の着物に豆の実のさやを舟にして出雲の国に御到着されます。ここで大己貴命と兄弟の縁を結び初めて国民に薬の術と病を癒す方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされた神様です。
相殿にお祀りしてあります菅原道真公は、江戸初期寛永十八年に合祀されました。(相殿とは、後から合祀されることです。)
社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職瀬川家の屋敷内に、大正に至る迄遷座されましたが、昭和三年に現地に遷座されました。
当社は古くから「天の神」を祀ることにより「五條天神」と呼ばれ、薬祖神としての尊崇が篤く、平成二十二年五月、ご創祀より壱千九百年の記念大祭が斎行された、東都有数の古社であります。(頒布の資料より)

五條天神社を参拝しました!
JR上野駅よりしばらく歩きました。
地図アプリで、寛永寺を検索しましたが、先ず、こちらに辿り着きましたので参拝させていただきました。
花園稲荷神社と併設で御鎮座されています。
境内の中はとても落ち着く雰囲気ですが、
インバウンドの方で混み合っていました。
医薬祖神の神社です。
◯御祭神は大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこのみこと)をお祀りされています。
第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、薬祖神(上記の二柱)の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、この地に両神をおまつりなされました(約1890年前)。
相殿には菅原道真(すがわらみちざね)公がお祀りされています。

上野公園内にある少彦名命さまと大己貴命さまを祀る神社です。日本武尊さまが東夷征伐でこちらにいらしたときに、薬祖神として崇敬される二柱を祀って創建したかなりの古社です。京都にも同名社がありまして御祭神や御神徳などは共通していますがら関連が全くないというのが不思議ですね。一応京都の方から勧請されたという説もあるようです。

《鳥居》
上野公園内にあるとおり、かつては寛永寺の境内社だったようです。

《提灯》
社紋は「粟穂」なんだそうです。少彦名命さまと粟は関係が深く『伯耆国風土記』の逸文によると、少彦名命さまは粟の穂に弾かれて常世の国に渡ったそうです。
東京都のおすすめ🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ





















































