そうさんじ
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楽しみ方宗三寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2026年04月30日(木) 09時34分44秒
参拝:2026年4月吉日
令和八年四月二十八日参拝。
神奈川ー713。
准秩父観世音菩薩霊場巡り、第廿札所、宗三寺。如意輪観世音菩薩。
こちらは、第廿五札所、陽林寺も兼ねています。聞いた話だと陽林寺の住職がなくなり、宗三寺の住職が兼ねている為、別々だと管理が大変と言うことで、十一面観世音菩薩をこちらの客殿に移し、御開帳しているそうです。
准秩父観世音菩薩霊場案内冊子より。
第廿番 宗三寺。
如意輪観世音菩薩。
鎌倉右大将頼朝の時代、臨済宗建長寺の末山にして勝福寺と称した。佐々木高綱がこの地を領せし時に当寺を菩提寺と定め、砂子一村を寄付し、寺門の繁栄をみた。又、天正(1573ー1591)の頃、小田原北条氏の家臣間宮豊前守信盛がこの地に住み、近郷を領地とした時、高綱の子孫と云うことで土地の寄進を行なっている。この時代(天正年間)下末吉寶泉寺四世自山純應大和尚を開山に迎え、現在の曹洞宗の寺院として開堂された。山号と寺号は、中興開基信盛の戒名(瑞栄院殿雲谷宗三大居士)に由来している。
第廿五番 陽林寺。
十一面観世音菩薩。
大永七年(1527)九月示寂した城田姓初代兵庫之守弥三郎(藤原秀忠と名乗り歴代武士)の守本尊十一面観世音菩薩を安位詞、代々城田家一族が約四百年間善供養を怠りなく堂守りをしてきた。歴代亡僧は不詳なれど、先住故東秀尼が昭和二年に山号をとり水月山陽林庵と称した。この頃より寺門の興隆を見て、昭和五十年に至り第二世東喆臣により、寺格昇(法地)等本堂再建をし、陽林寺となり現在にいたる。
神奈川ー713。
准秩父観世音菩薩霊場巡り、第廿札所、宗三寺。如意輪観世音菩薩。
こちらは、第廿五札所、陽林寺も兼ねています。聞いた話だと陽林寺の住職がなくなり、宗三寺の住職が兼ねている為、別々だと管理が大変と言うことで、十一面観世音菩薩をこちらの客殿に移し、御開帳しているそうです。
准秩父観世音菩薩霊場案内冊子より。
第廿番 宗三寺。
如意輪観世音菩薩。
鎌倉右大将頼朝の時代、臨済宗建長寺の末山にして勝福寺と称した。佐々木高綱がこの地を領せし時に当寺を菩提寺と定め、砂子一村を寄付し、寺門の繁栄をみた。又、天正(1573ー1591)の頃、小田原北条氏の家臣間宮豊前守信盛がこの地に住み、近郷を領地とした時、高綱の子孫と云うことで土地の寄進を行なっている。この時代(天正年間)下末吉寶泉寺四世自山純應大和尚を開山に迎え、現在の曹洞宗の寺院として開堂された。山号と寺号は、中興開基信盛の戒名(瑞栄院殿雲谷宗三大居士)に由来している。
第廿五番 陽林寺。
十一面観世音菩薩。
大永七年(1527)九月示寂した城田姓初代兵庫之守弥三郎(藤原秀忠と名乗り歴代武士)の守本尊十一面観世音菩薩を安位詞、代々城田家一族が約四百年間善供養を怠りなく堂守りをしてきた。歴代亡僧は不詳なれど、先住故東秀尼が昭和二年に山号をとり水月山陽林庵と称した。この頃より寺門の興隆を見て、昭和五十年に至り第二世東喆臣により、寺格昇(法地)等本堂再建をし、陽林寺となり現在にいたる。
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天狼星949投稿
令和二年の元旦に、「今日は令和最初の元旦だから、御朱印を貰いに行こう」と思い立って始めました。当初は、御朱印が目的だったのですが、小さな神社やお寺が、目に付くようになり、仕事等で現場に行くと散歩...もっと読む
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