そうさんじ|曹洞宗|瑞龍山
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令和八年四月二十八日参拝。
神奈川ー713。
准秩父観世音菩薩霊場巡り、第廿札所、宗三寺。如意輪観世音菩薩。
こちらは、第廿五札所、陽林寺も兼ねています。聞いた話だと陽林寺の住職がなくなり、宗三寺の住職が兼ねている為、別々だと管理が大変と言うことで、十一面観世音菩薩をこちらの客殿に移し、御開帳しているそうです。
准秩父観世音菩薩霊場案内冊子より。
第廿番 宗三寺。
如意輪観世音菩薩。
鎌倉右大将頼朝の時代、臨済宗建長寺の末山にして勝福寺と称した。佐々木高綱がこの地を領せし時に当寺を菩提寺と定め、砂子一村を寄付し、寺門の繁栄をみた。又、天正(1573ー1591)の頃、小田原北条氏の家臣間宮豊前守信盛がこの地に住み、近郷を領地とした時、高綱の子孫と云うことで土地の寄進を行なっている。この時代(天正年間)下末吉寶泉寺四世自山純應大和尚を開山に迎え、現在の曹洞宗の寺院として開堂された。山号と寺号は、中興開基信盛の戒名(瑞栄院殿雲谷宗三大居士)に由来している。
第廿五番 陽林寺。
十一面観世音菩薩。
大永七年(1527)九月示寂した城田姓初代兵庫之守弥三郎(藤原秀忠と名乗り歴代武士)の守本尊十一面観世音菩薩を安位詞、代々城田家一族が約四百年間善供養を怠りなく堂守りをしてきた。歴代亡僧は不詳なれど、先住故東秀尼が昭和二年に山号をとり水月山陽林庵と称した。この頃より寺門の興隆を見て、昭和五十年に至り第二世東喆臣により、寺格昇(法地)等本堂再建をし、陽林寺となり現在にいたる。

25.12.05。京急線「京急川崎駅」より徒歩3分。川崎市川崎区砂子1丁目の繁華街至近にある曹洞宗の寺院。
山号 瑞龍山
創建 鎌倉時代初期
開山 玄統
本尊 釈迦如来
札所
准秩父三十四ヶ所観音霊場第20番
【歴史】〜Wikipedia より〜
当初は建長寺を本山とする臨済宗の寺院であった。後に当地は佐々木高綱の所領となったため、佐々木家の菩提寺となったが、次第に寺運衰微してしまった。
その後、天正年間(1573-1592)に後北条氏の家臣の間宮信盛によって中興された。間宮信盛は佐々木高綱の末裔ではないが、同じ佐々木一族だったことから中興したという。その際に曹洞宗に転宗した。
境内には、川崎宿の飯盛女の菩提を弔う供養塔が2基ある。(大正初期と昭和63年の建立)
※こちらは写真を撮り漏れました。
旧東海道沿いに比較的広い敷地を持つ寺院であり、且つ旧川崎宿では一番の古刹であるとされています。境内には銀杏の黄葉が満開で初冬ではありましたが、秋の名残りもあり良き参詣でした。
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正式名:瑞龍山宗三寺
神奈川県川崎市川崎区にある曹洞宗の寺院。
鎌倉時代初期、玄統によって開山された。当初は建長寺を本山とする臨済宗の寺院であったが、後に当地は佐々木高綱の所領となったため、佐々木家の菩提寺となったが、次第に寺運衰微してしまった。その後、天正年間(1573〜1592)に後北条氏の家臣の間宮信盛によって中興された。
間宮信盛は佐々木高綱の末裔ではないが、同じ佐々木一族だったことから中興したという。この中興時に曹洞宗に転宗した。
後に間宮家は江戸幕府の幕臣に取り立てられており、彼らによって信盛の供養塔が立てられている。
境内には川崎宿の飯盛女の菩提を弔う供養塔が2基ある。古い方は大正初期に川崎貸座敷組合によって建てられたもので、新しい方は昭和63年に川崎今昔会が建てたものである。


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