日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)の日常(26回目)|山梨県塩之沢駅
↑動画がコチラから!
みなさんこんばんは!
もっちーです。
このホトカミはだといつも仏教を「面白く・楽しく」学べるような記事を書いているのですが、
今回は、ちょっと真面目なトピックを取り上げたいと思います。突然なんですが、みなさん「あなたの宗教は?」と聞かれたらなんと答えますか?
きっと多くの方が「自分は無宗教だ」と答えるのではないでしょうか。
なぜなら、多くの日本人は初詣には神社に行き、結婚式の時は教会に、そしてお葬式はお寺にお世話になるといった風に宗教はバラバラです。
それに実家は確かになんとか宗だし、お盆にはお坊さんが家に来たりするけど、別にだからといって熱心に活動しているわけではなく、教義もよくわからないといった方が多いのではないでしょうか?
今日は
①現代の日本人はなぜ無宗教と感じる人が多いのかその理由
②本当に日本人は無宗教なのか?という二つに議題についてお話したいと思います。
まず何事においてもそうですが、なぜ現在のようになったかを知るためには、過去を知ることが大切です。
ということで、江戸時代から仏教の歴史遡ってみましょう。
①なぜ日本人は、無宗教と感じる人が多いのか?
江戸時代の宗教界にとって一番に出来事は「寺檀制度」が定められたことでした。
これにより、人々はいずれかのお寺に所属しなければなり、お寺で戸籍などを登録するようになります。
いわば現代の役所の戸籍係のようなことをお寺はやっていました。
家に仏壇があったり、自分の家のお寺さんが決まっていたりするのは、この制度の名残が今でも残っているからといえるでしょう。
その後明治時代になり、日本は富国強兵の名のもとに欧米からの外的侵略を防ぐために一つにまとまって強くならなくてはなりませんでした。
そのため国家神道といって、天皇を中心に国家を一つにまとめようという動きが出てきます。この神道を国教に据えた国家神道の時代は大正・昭和と続いていきました。
第二次世界大戦後、この国家神道がGHQに解体され、日本国憲法には「信教の自由」が明記されたため、日本人が国から宗教を強要されることはなくなりました。
さらにこの後に多くの日本人が宗教に騙されたり、宗教団体が社会的問題を起こしたため、宗教はなんだか近づき難いものとなってしまい、宗教と聞くと怖いものと思い嫌厭される方も一定数いらっしゃると思います。
こうして「多くの日本人が自分は無宗教だ」と感じるようになりました。しかし、私たちは本当に無宗教なのでしょうか。
②本当に日本人は【無宗教】なのか?
僕が宗教を勉強していていつも驚くのは日本人の器用さと寛容性です。
食べ物に例えると、カレーのようなものだと思います。
カレーといえば、インドで生まれたものですがもはや国民食に近く、今まで生きていて何リットルカレーを飲んだことかその量は計り知れません。
このカレーを見てもわかりますが、日本人は外来のものを器用に取り込むことが得意であり、またそれを取り入れる器の大きさ、寛容性をもっています。
日本の仏教も全く同じで、インドから入ってきた仏教を自分流にアレンジして、受け入れていきました。
ですからその約1500年の歴史の名残がお祭りやお施餓鬼、除夜の鐘など所々に残っていますし、
無宗教とは感じていても私たち日本人は遺伝子レベルで仏教のこと覚えているのだと思います。
この寛容で柔軟な感覚、敢えて名前を付けるなら「無宗教」こそ日本のベースにある宗教なのではないでしょうか。
そして現在の日本は、こうした日本人の宗教観が相まって、古今東西の仏教を取れられ、喩えるとまさに仏教のデパートのような状態になっていると思います。
なぜ仏教のデパートのような状態になったのか。
その歴史につきましては右上もしくは説明欄のシリーズ動画で詳しく紹介していきますので、ぜひご視聴ください。
今日の内容みなさんはどう思いますか?
今までご紹介したことはあくまで私の個人的な見解ですので、ぜひみなさんの意見や感想をコメント欄でお聞かせください。
今日もご視聴ありがとうございました。
それではまた🙋
すてき
みんなのコメント(6件)
なるほどです❗️
私も似たような考えですね😊
私的な考えを述べさせて頂く事をお許し下さいm(_ _)m
インドから来たカレーまでは同感であります。
その先が少し違うのですが・・・
日本人は自分流にアレンジを加えるのは得意だと思います☺️自動車産業等を見てもそう感じます。
仏教は大きく北ルートと南ルートの二種類があると思います。この二種類でも教義が違うでしょうし、日本の仏教にも宗派があり考え方も違います。日本に仏教が入ってきて、政治的なものもありますが、神道があるのに広まった理由は、神道の八百万の神を信じてきた日本人の寛容さと精神性だと感じます。外国の一神教みたいに自分の信じる宗教以外を迫害する事が無かったから受け入れられたのではないのかと考えています。仏教に限らず、ケーキやプレゼント欲しさでクリスマスを祝うキリスト教を信仰しても、日本は八百万の神様の国だからと思う遺伝子が日本人にはあるのだと考えます。無宗教より、八百万だから1つの神様にだけ固執しない、日本人の新しいモノ好きな一面が垣間見えます。
まとまりませんでしたが、小市民のひとりごとですので、さらっと流して頂ければと思いますm(_ _)m
コメントありがとうございます!
確かにそうですね!日本人は色々な所に神仏を見出だせますものね。
古い家庭用品、例えば やかんだったり、傘だったりに魂が宿るという話もありますし、
外国人からみれば、ただの木かもしれませんが、古い杉木にだって、御神木として畏敬の念を現わしたりしますものね✨
そうすると、無宗教というより 【八百万の感覚 】といった方がいいかもしれませんね!
貴重な意見ありがとうございましたm(__)m
返信ありがとうございます😊
日本人は色々な所に神仏を見いだす事ができる民族ですよね✨✨
物を大切にしたりしますし😊
神仏習合でお寺に鳥居があったり、神社に梵字があったりしても、排除する事無く、受け入れられる寛容さがありますね🙆
神道の考え方では、仏様も八百万の中のお一人であると考えていると思いますので、仏教が日本で広まる事となったのでしょうね🎵
こちらこそありがとうございましたm(__)m
僕もそんな日本人の感性がとても大好きです🙋
このご縁に感謝して、僕も神社仏閣へのお参りを続けて行きたいと思っております(^-^)v
また、武甕槌命様とも、どこかの神社仏閣で一緒にお参りできたらいいですね!
こちらこそ、ありがとうございます😊
ご一緒させて頂ければ幸いです✨✨
これからも宜しくお願い致します🎵
こちらこそ、これからも宜しくお願い致します🙏
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