日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)の日常(25回目)|山梨県塩之沢駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2020年07月18日(土)
https://youtu.be/KsBrB3RFrLA
※ぜひ感想コメント欄でお待ちしております!
どうもこんばんは!
もっちーです。
今日は縁起という仏教の考え方についてお話したいと思います。
縁起がいいとか悪いとかで、吉凶を表す言葉として誤解されがちですが、仏教でいわれる本当の意味は違います。
今日は「縁起」の本当の意味を仏教初心者でもわかるように、例も豊富に交えてわかりやすくお伝えしていきたいと思います。この動画を最後まで見て頂ければ、いつの間にか自分の思考の幅が広まっていることに気づくはずです。
ということで今日も突然仏教ということで、始めていきたいと思いますが、今日は名刺、名刺から話を始めていきたいと思います。
名刺というのは「自分はこういったもの」ですと、自己紹介するために渡すものですが、例えば合コンにいったとしましょう。
「私は今年30歳で、独身のOOと申します。好きなものは、、、、」でといったふうに自己紹介していくおもいますが、ここでも一つ気づくことがあります。それは自己紹介しているはずなのに自分はいないという点です。どういったことかというと、30歳というのは30歳以外の人がいて初めて成り立つわけです。独身という考え方も同じです。自分を紹介しようとすればするほど、必ず他人や自分の周りのものと比べた物をいわなければ自己紹介はできない。ということです。つまり、自分だけと思っていても、結局なにかとつながっているということです。
もうひとつ例をみてみましょう。「Aさんがyoutubeをスマホでみながら、電車で帰宅途中だったとします。」Aさんはこの事象を自分一人の力で起こしていると主張するかもしれませんが、実際には家が逆方向に建てられていれば、彼は間違いなく今の方向にはいかなかったはずです。また先人がスマホというものを発明しなければ、動画は電車で見れなかったでしょう。電車が走っている線路だってどこの誰かが工事して作ったからこそ、そこにあるのであって、だからこそAさんは電車に乗ることができたはずです。このようにたかが帰宅するという現象までも、とんでもなく大量な縁の絡みによって、成り立っており、自分ひとりでは引き起こすことは決してできません。それと同様にどのような物事や現象であろうとも、それは単独で存在できるものではなく、たくさんの縁の絡み合いによって起こり、実体というものはそもそもありません。
このことを仏教では、縁起、正式には因縁生起といいます。
因縁生起とは「この世のすべてのものや現象には必ず因縁が存在しており、永遠不変のものはない」という考え方のことです。
この因と縁と言うのは、それぞれ、因は直接的な原因、縁は間接的な原因という意味です。
因とは植物で例えると、種のような直接的な原因を意味します。
縁とは植物で例えると、水や日光などの環境のような間接的な原因を意味します。
そしてこの因縁は、アラヤ識といった場所に蓄えられていきます。
そして、一定時間経つとこの阿頼耶識から貯まった言動が吐き出され、結果となります。
植物で例えると、花です。
このことを仏教では因果応報といいます。
つまり物事には必ず原因があって、結果あるということです。
何もしていないのに、結果が得られることはありません。
そして、悪いことをしたら悪い結果が、良いことをしたら良い結果が帰ってくると仏教では説かれています。
最後にこの因果応報を表したお釈迦様の言葉を紹介して終わりにしたいとおもいます。
その言葉とは「『その報いはわたしには来ないだろう』と思って、どんな小さなことでも軽んじてはいけない。水が一滴ずつ滴り落ちるなら、水瓶でも満たされる」ダンマパダ」というお経の言葉です。
ぜひ自分の周りの家族や友達にも、拡散して、1人でも多くの方に良いことをして頂ければと思います。
今日のポイントは2つです。
1,私たちの世界は様々な縁という原因が積み重なってできている。
2,その原因はアラヤ識に蓄積され、時間がたつと結果となって現れる。
以上でした。
この話を【名刺】代わりに、仏教が好きになってもらえたら幸いです!
ご清聴ありがとうございましたm(__)m
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どうもこんばんは!
もっちーです。
今日は縁起という仏教の考え方についてお話したいと思います。
縁起がいいとか悪いとかで、吉凶を表す言葉として誤解されがちですが、仏教でいわれる本当の意味は違います。
今日は「縁起」の本当の意味を仏教初心者でもわかるように、例も豊富に交えてわかりやすくお伝えしていきたいと思います。この動画を最後まで見て頂ければ、いつの間にか自分の思考の幅が広まっていることに気づくはずです。
ということで今日も突然仏教ということで、始めていきたいと思いますが、今日は名刺、名刺から話を始めていきたいと思います。
名刺というのは「自分はこういったもの」ですと、自己紹介するために渡すものですが、例えば合コンにいったとしましょう。
「私は今年30歳で、独身のOOと申します。好きなものは、、、、」でといったふうに自己紹介していくおもいますが、ここでも一つ気づくことがあります。それは自己紹介しているはずなのに自分はいないという点です。どういったことかというと、30歳というのは30歳以外の人がいて初めて成り立つわけです。独身という考え方も同じです。自分を紹介しようとすればするほど、必ず他人や自分の周りのものと比べた物をいわなければ自己紹介はできない。ということです。つまり、自分だけと思っていても、結局なにかとつながっているということです。
もうひとつ例をみてみましょう。「Aさんがyoutubeをスマホでみながら、電車で帰宅途中だったとします。」Aさんはこの事象を自分一人の力で起こしていると主張するかもしれませんが、実際には家が逆方向に建てられていれば、彼は間違いなく今の方向にはいかなかったはずです。また先人がスマホというものを発明しなければ、動画は電車で見れなかったでしょう。電車が走っている線路だってどこの誰かが工事して作ったからこそ、そこにあるのであって、だからこそAさんは電車に乗ることができたはずです。このようにたかが帰宅するという現象までも、とんでもなく大量な縁の絡みによって、成り立っており、自分ひとりでは引き起こすことは決してできません。それと同様にどのような物事や現象であろうとも、それは単独で存在できるものではなく、たくさんの縁の絡み合いによって起こり、実体というものはそもそもありません。
このことを仏教では、縁起、正式には因縁生起といいます。
因縁生起とは「この世のすべてのものや現象には必ず因縁が存在しており、永遠不変のものはない」という考え方のことです。
この因と縁と言うのは、それぞれ、因は直接的な原因、縁は間接的な原因という意味です。
因とは植物で例えると、種のような直接的な原因を意味します。
縁とは植物で例えると、水や日光などの環境のような間接的な原因を意味します。
そしてこの因縁は、アラヤ識といった場所に蓄えられていきます。
そして、一定時間経つとこの阿頼耶識から貯まった言動が吐き出され、結果となります。
植物で例えると、花です。
このことを仏教では因果応報といいます。
つまり物事には必ず原因があって、結果あるということです。
何もしていないのに、結果が得られることはありません。
そして、悪いことをしたら悪い結果が、良いことをしたら良い結果が帰ってくると仏教では説かれています。
最後にこの因果応報を表したお釈迦様の言葉を紹介して終わりにしたいとおもいます。
その言葉とは「『その報いはわたしには来ないだろう』と思って、どんな小さなことでも軽んじてはいけない。水が一滴ずつ滴り落ちるなら、水瓶でも満たされる」ダンマパダ」というお経の言葉です。
ぜひ自分の周りの家族や友達にも、拡散して、1人でも多くの方に良いことをして頂ければと思います。
今日のポイントは2つです。
1,私たちの世界は様々な縁という原因が積み重なってできている。
2,その原因はアラヤ識に蓄積され、時間がたつと結果となって現れる。
以上でした。
この話を【名刺】代わりに、仏教が好きになってもらえたら幸いです!
ご清聴ありがとうございましたm(__)m
すてき
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