定林坊副住職の【1月限定御首題】への想い
こんばんは 定林坊副住職のもっちーです。
日蓮聖人と聞いて過激な人とイメージする方も多いと思います。
有名なのが四箇格言ですね。
真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、律国賊(りつこくぞく)という4つの格言で
この言葉尻だけをたどると他宗を罵り、排他的にみえるようですが、本当にそうでしょうか?
今は受験シーズン真っ只中ですから、受験に喩えてみますとあなたが受験生だとして受験日が迫っています。
勉強しようが、しまいがあなたの自由ですが、でも勉強しなかったら、志望校に合格できないですよね。
それに対してめちゃくちゃ厳しい言葉をかけてやる気を促そうという人がいます。
この人はあなたのことが嫌いでそういった言葉をかけるのでしょうか?
恐らく違いますよね。「もっと良くなってほしい」「何とか目標に辿りつかせたい」という想いからそういった言葉をあえて発しているのだと思います。
それに受験日鎌倉時代でいう末法(最後の退廃期)が迫っているわけですから、もたもたしてもられません。もう時間がないんです。
だけど「日本人を救いたい この国を救いたい」
そういった【愛】が根底にあって仮の表現としてそのような厳しい言葉をかけられたのだとおもいます。
本当は誰よりもこの国「日本のことを考え、愛していた人物」が日蓮聖人です。
今回のご首題の言葉では「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。」の部分を引用させてもらいましたが、
この手紙には続きがあり、「そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ふぞとたづね候へば、とたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候ふ。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候ふとみへて候ふ。」
とあり自分の身の内に「仏様」も「地獄」わかりやすくいうと「鬼」も存在しているとおっしゃっています。
そして、この2つは表裏一体であり、普段の生活で表になったり、裏になったりするわけですが、
「あえて裏」にすることも修行を積んだ方ならできるはずです。
「心を鬼にする」という言葉がありますが正にその通りでその裏には仏様つまり【愛】があると思います。
現代もまた激動の時代です。
日蓮聖人のように嫌われてもいいからこの世の「すべてのもの」を愛しきれるか。
お坊さんとして、人として考えさせられる日々です。
1月のご首題の奥にはこんな思いもあって、この言葉を選らばせて頂いたことを書き忘れておりました。
ぜひみなさんにとって、この1月が「春の始め」として新たな気持ちで今年1年を送られることを心より願っています。
1月限定御首題
お志:500円
授与期間:1月1日~1月31日
お問い合わせはこちらの定林坊公式LINEまでおねがいいたします。
https://lin.ee/yEcZzXh