いちみやあさまじんじゃ
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一宮浅間神社の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
---|---|---|---|
御朱印帳 | - | ありません | |
参拝時間 | 24時間参拝可能 | ||
電話番号 | 0556-42-3884 (若宮八幡神社) |
山梨県のおすすめ2選🍁
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
赤い鳥居が招いてくれた
静かな場所に鎮座
日本最古の神獣鏡(国の重要文化財)
今は東京国立博物館に展示されているとのこと
御神祭は木花咲耶姫命
掲示板の姫は綺麗だった
持ち上げた時の感じる重さで願い事の成就、不成就を占う事が出来るというとうろぶつさん…
重かった😣💦
御朱印は書置きが用意されていました
甲斐・諏訪神社巡り⑪甲府市を出て笛吹川沿いを下り市川三郷町へ。初めて足を踏み入れる地です。何か隠れ里に来た気分です。こちらは甲斐の国の一宮とも市川三郷町の一宮ともいわれています。立派な両部鳥居が目に入り、脇を上がって境内脇に上がると2~3台分くらいの駐車スペースがあります。果たして駐車場なのかは判りません。車を停めて、改めて鳥居まで戻りました。時刻は平日の午後3時過ぎ、誰も参拝者はいません。立派な参道、石段、数多くの燈籠、やたらと赤みがかかった石の灯籠が気になります。この辺が産地なのでしょうか?又奉納者や奉納年がしっかりとした大きな文字で刻まれています。朱の随神門をくぐり抜け、こちらも派手な朱の拝殿。社務所は無く、色々尋ねたいことがあったのですが、帰宅調べてもまだもやもや感が抜けません。拝殿前に味のある書置きの御朱印が用意されており、有難く戴いてきました。尚、所管社は若宮八幡神社(山梨県南巨摩郡身延町西嶋1534)で、そちらでも御朱印を戴けらしい。
両部鳥居
社号標
鳥居前の灯籠
元禄七年(1694)奉納の灯籠
二の鳥居の跡か?
石段を上がっていきます
石段途中から
参道 神橋
手水舎
寛政三年(1791)奉拝の水盤
灯籠
寛政九年(1797)奉拝の灯籠
随神門
元禄17年(1704)建造
拝殿側からの随神門
随神様
背面に弘治3年(1557)の墨書銘があるらしい
灯籠
拝殿
元禄17年(1704)建造
拝殿 上からのアングル
本殿 元禄16年(1703)に造替あるいは元禄17年(1704)
狛犬
寛政二年(1790)奉納の灯籠
使われていないだろう古い手水盤
拝殿前に書き置きの御朱印が用意されていました
石祠群
右側の石祠には寛政九年(1797)の文字が有りました
石祠群
境内社 両部鳥居
石段を上がっていきます
境内社 愛宕社?
中に地蔵像があります
灯籠
何やら刻まれていますが読めません
石祠群
荒井清兵衛顕道生祠
安政四年、あるいは五年の創建。
荒井顕道は市川大門地方の代官で、安政元年(1854)の大地震の際、高田村は一村全滅という大被害を受けた。荒井顕道はこれを見かね、幕府代官所の御用金を流用して村民を救った。荒井顕道は幕府に咎められることなく、村人たちはこれに感謝し、浅間神社境内に生祠を建てて祀った。
木造の祠は老朽化によって朽ち果て、明治になって石祠になったが、現在は石柱に変えられている。
地神
石祠群
石祠群
石垣に寄進年の文字が刻まれていました
元文三年(1738)と銘されています
上下??
願主
????
?文四年と刻まれています
宝物庫?
依田重左衛門安清の生祠
1854年(安政元年)に当地を襲った大地震の際に、被災者の救済に尽力した代官の荒井顕道と名主依田安清を生きながら祀った
元文三年(1738)と刻まれています
一宮浅間神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(14枚)
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