こちょうぜんじ|臨済宗妙心寺派|瑞雲山
古長禅寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 釈迦如来 | |
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ご由緒 | ~御由緒書より~ 古長禅寺は、往古は真言宗の道場として隆盛を極めていたが、幾星霜の間にすっかり荒廃していた。
~Wikipediaより~
境内地は、もとこの地にあった真言宗寺院の西光寺の跡地であるという。西光寺の創建年代は不詳であるが、行基創建と伝わり七堂伽藍を有したと言われる。西光寺伽藍のうち地蔵堂が残っていたが、大正11年(1922年)の火災で焼失し、現在では一部の墓域のみが残っている。 南北朝時代の1316年(正和5年)には臨済宗の僧である夢窓疎石[1]が西光寺の一角に長禅寺を創建し、臨済宗に改宗されたという。 大井夫人墓所(2019年8月撮影)
そのため晴信は国主となった後に長禅寺を庇護しており、古長禅寺境内には大井夫人の宝篋印塔など中世段階の石造物が現存している。大井夫人は天文21年(1552年)に死去しているが、晴信は同時期に寺を2分し、そのうち1つを甲府の愛宕山南麓に移転して甲府五山のひとつに定めとしたことから、残されたこの寺は古長禅寺と号した。 2006年(平成18年)には山梨県埋蔵文化財センターによる「山梨県内中世寺院分布調査」の一環として境内の発掘調査が実施される。調査区域からは古墳時代中期からの遺物が検出され、平安時代の土器片、近世に至る遺物や基壇と推定される中世から近世の建物遺構が検出されている。また、本堂南側にも未調査の基壇が確認されているほか、寺域の東や北側からは土塁の存在も確認され、寺の防御施設や館跡の可能性が考えられている。 |
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