きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ
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北口本宮冨士浅間神社のお参りの記録(3回目)
投稿日:2022年05月03日(火)
(24) 北口本宮冨士浅間神社..山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
千九百年以上の歴史があり、富士登山道の入り口でもある霊験あらたかな神社です。
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
千九百年以上の歴史があり、富士登山道の入り口でもある霊験あらたかな神社です。
(1)
北口本宮冨士浅間神社..山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
北口本宮冨士浅間神社
山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
「冨士」がワカンムリ。
諸説ありますが、いずれの説も神域に人が踏み入れることを戒めるものです。
北口本宮冨士浅間神社..山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
北口本宮冨士浅間神社
山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
「冨士」がワカンムリ。
諸説ありますが、いずれの説も神域に人が踏み入れることを戒めるものです。
北口本宮冨士浅間神社..山梨県富士吉田市上吉田5558
鳥居前は国道139号線で交通量がかなり多い
(左は山中湖方面~右は河口湖方面)
由緒によると
人皇12代景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、箱根足柄より甲斐国酒折宮へ向かう途中、当地「大塚丘」にお立ちになられ、富士山の神霊を御遥拝され「富士の神山は北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。
(左は山中湖方面~右は河口湖方面)
由緒によると
人皇12代景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、箱根足柄より甲斐国酒折宮へ向かう途中、当地「大塚丘」にお立ちになられ、富士山の神霊を御遥拝され「富士の神山は北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。
(5)長い参道です
千九百年以上の歴史があり、富士登山道の入り口でもある霊験あらたかな神社です。
千九百年以上の歴史があり、富士登山道の入り口でもある霊験あらたかな神社です。
(5)参道です
参道です
参道です
大鳥居の中央に人がいます(比較)
大鳥居の中央に人がいます(比較)
大鳥居
高さは約15m、木造では、国内第一の大きさを誇ります
鳥居の扁額には、「三国第一山」
「三国第一山」は世界一の山という意味になるそうです
高さは約15m、木造では、国内第一の大きさを誇ります
鳥居の扁額には、「三国第一山」
「三国第一山」は世界一の山という意味になるそうです
大鳥居から随身門
(10)巨大な大鳥居です、わかりますか?
随身門
御祭神 櫛磐門戸神・豊磐門戸神
御祭神 櫛磐門戸神・豊磐門戸神
随身様
随身様
随身門
この門はかえる股に七福神と松竹梅に鶴亀を施すなど彫刻意匠が多い
この門はかえる股に七福神と松竹梅に鶴亀を施すなど彫刻意匠が多い
(15) 神楽殿
元文2年(1737)頃に村上光清を中心とした富士講中により建立された。
元文2年(1737)頃に村上光清を中心とした富士講中により建立された。
随身門から右には社務所
(御朱印はここ)
(御朱印はここ)
随身門から左を見ると御水舎( おみずや)
水盤は、一個石であり御水舎は四石柱支えによる雄大壮重比類稀な建築だと称せられています。
霊水は、泉瑞と同じ水源から引かれているそうです。
水盤は、一個石であり御水舎は四石柱支えによる雄大壮重比類稀な建築だと称せられています。
霊水は、泉瑞と同じ水源から引かれているそうです。
神楽殿から拝殿をみるとこうなります。
十二干支の彫刻を施しています
十二干支の彫刻を施しています
北口本宮冨士浅間神社..山梨県富士吉田市上吉田5558
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
御祭神
木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山衹神
(20)拝殿内部です
ここでお参りします
ここでお参りします
見上げれば天狗さん
拝殿の彫刻
神様がいつも見ている景色 (お参り後に振り返ったときに見える景色)
(24)北口本宮冨士浅間神社 拝殿
見どころ編は綺麗な写真がないので一時中止します。
見どころ編は綺麗な写真がないので一時中止します。
すてき
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