せんげんじんじゃ
淺間神社(忍野八海)公式山梨県 富士山駅
参拝24時間
社務所9:00~17:00
氏子以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 忍野八海の守護神である「浅間神社」「諏訪神社」「稲荷社」の三面奉書となりますが、その他、兼務社や所管社などの朱印があるので問い合わせ下さい。 | ||
限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | 忍野八海の神水を使用しているので墨が少し薄い感じになります。 基本、三面奉書となりますので了承下さい。また希望があれば承ります。 兼務社や所管社などの朱印もありますがお問い合わせ下さい。 | ||
郵送対応 | 不備があるといけないので先に電話で問い合わせを頂きます。 現金封筒で朱印の初穂料と返信封筒(切手を貼って下さい)を送って下さい。 兼務社もあるので必要な神社を記載して下さい。 | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内裏のお宮橋を渡ってすぐ右折 50台 |
駐車場は、神社から裏手の橋を越えた右側にあります。
鳥居を入る前に拝礼をしたり写真を撮る際は、すぐ目の前が道路で交通量もそれなりにあるのでお気をつけください。
御朱印は、三連の御朱印になります。900円です。忍野八海の水で薄めながら書く御朱印ですので、他の御朱印に比べ薄墨です。
これも素敵!です。
駐車場の説明。
駐車場から神社に向かう道
駐車場
小川を挟んで向こう側に、神社が見えます。
きれいに色づいてます
紫陽花でしょうか?葉がムラサキになっていてきれいでした。
木が古くなってきているのが、それがまた良い感じです。
お天気がよければ、ここから富士山が見えてたはず(TOT)
忍野八海 忍草 淺間神社
(おしのはっかい しぼくさ せんげんじんじゃ)
主祭神
木花之咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
相殿神
天津日高日子番能邇邇藝尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)
大山津見命(おおやまつみのみこと)
社格等 旧村社
創建 大同2年(807年)
国重文
三神像(御神体)
市町村指定
本殿 拝殿
四天王像(持国天と増長天) 運慶作の金剛力士像は和田義盛公と畠山重忠公による寄進
大鳥居扁額 境内末社諏訪神社神輿と祭典記録
棟札(慶長18年)
他
拝殿内八海の和歌額
拝殿内木造狛犬
大我講(富士講)
太鼓破片 イチイ群
忍草浅間神社は大同2年(西暦807年)に創建されました。
桧皮葺屋根・三間社流れ造りの御本殿は村指定重要文化財です。
御本殿には、木花咲耶姫命、鷹飼(たかがい)、犬飼(いぬかい)坐像の三神像が祀られています。
正和4年(西暦1315年)に檜の一本造りでつくられた、県内で最古の貴重なご神像といわれています。
🗻富士山構成資産 忍野八海 🗻
忍野八海が点在する忍野村全体が、かつては宇津湖(うつこ)と呼ばれる巨大な湖でした。 目の前には何度も噴火をくり返す富士山がありました。
延歴19年(西暦800年)における大噴火において、宇津湖は流れる溶岩によって2つに分断され、忍野湖と山中湖が誕生しました。
やがて、片方の忍野湖は富士山噴火活動期を経て、徐々に富士裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され、長い期間の後、ついに湖は涸れましたが、富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。
その代表的な湧水池が忍野八海です。
富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水層という溶岩の間で、数十年の歳月をかけてろ過され澄みきった水となり、美しく神秘的です。
移り変わる季節に彩られた富士を水面に映し込んで忍野八海は、「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に、環境庁から全国名水百選に選定されました。
また、平成6年(1994年)には、県新富嶽百景選定地にも指定されました。
御朱印は
忍草淺間神社 三社
所轄社 三社
兼務社 三社
こちらの御朱印は三体一対。
墨は忍野八海の神水(湧水)を使用して授与下さいます。
2組順番待ちをされていたのですが、私の後が更に4組並ばれて、また並び直したらいいと思い、所轄社までの六社しか拝受できませんでした。
以前友人が河口湖マラソンに出場し、応援がてら訪れましたが、これほど美しく豊かな忍草淺間神社と忍野八海を巡拝することができて、改めて自然とお三方に感謝しました。
山梨県南都留郡忍野村忍草456番地
鏡面✴✴
え、、鯉ちがうかった
全てラインが入っていましたものね(恥)
#出口池
#お釜池
#底抜池(そこなし池)
#銚子池
#湧池(わく池)
#濁池
#鏡池
#菖蒲池
「八海」の名は、富士講の人々が富士登山の際に行った8つの湧泉を巡礼する八海めぐりからきており(多数ある湧泉のうち8つに限ったのは、8を尊ぶ仏教的思想に基づきます)
富士講では忍野八海のことを、元(小)八海、内八海、根元八海、富士外八海等と呼ばれています。古くから富士修験の霊場とされ、行者たちは富士登拝の前に池で禊を行なったとされます。1843年に各池に守護神の「八大竜王」が祀られ、一から八霊場、神域巡場が整備されました。
湧池(わくいけ)が1番深いそうです
カモ🦆さん
途中 道の駅にも寄って頂き
stamp げっと💚
ありがとうございました🍇🍑
初めて?2回目? 富士山ナンバー
静岡県側4市1町(富士宮市、富士市、御殿場市、裾野市、小山町)と山梨県側1市2町4村)
素敵です🗻
主な祭典
1月1日 歳旦祭
旧暦1月14日 筒粥祭
2月3日 節分祭
2月17日 祈年祭
5月2日 八十八夜祭
5月3日 例祭(春季大祭)
6月9日 国重文指定記念祭
6月30日 夏越大祓式
7月15日 末社 八坂神社例祭
8月1日 末社 坐摩者例祭
9月1日 二百十日祭
9月19~21日 境内末社 諏訪神社例祭 (秋季大祭)
10月1日 末社 天狗社例祭
11月15日 七五三祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 年越大祓式・除夜祭
世界文化遺産、また、国指定天然記念物でもある忍野八海(国と忍野八海浅間神社の所有の八つの池)に鎮座する当浅間神社は大同2年(807)の創建です。地元では「忍野浅間神社(おしのせんげんじんじゃ)」、「忍草浅間神社(しぼくさせんげんじんじゃ)」、一般には「忍野八海浅間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ)」と称され、崇敬されています。
文治2年(1186)、現在地に社殿を再建し、建久4年(1193)に将軍・源頼朝が富士裾野の巻狩りの際に鳥居地峠から鬼坂までを社領と定められ、同年8月6日に鎌倉幕府から武運長久祈祷があり、鳥居地峠に和田小太郎義盛、畠山次郎重忠の寄進による神門と金剛力士像(運慶作と伝えられる)が建立されましたが、現在は二天王像(四天王のうちの持国天【東方の守で青】・増長天【南方の守で赤】の二像で阿形と吽形)が神門に安置されています。
慶長18年(1613)11月に社殿を再建。宝永2年(1705)11月に本殿を三間社極彩色に再々建。正徳3年(1713)6月に東国の溝中。武州江戸本郷春木町の伊右衛門・三佐衛門・喜平治などにより大僧正常然書の大鳥居の「富士大権現」扁額奉納されました。
延享3年(1746)4月に拝殿を再造営。天保2年(1831)に現在の天屋拝殿を再造営。神門、及び拝殿は茅葺屋根のため幾度か葺き替えを行われましたが、昭和51年(1976)9月に忍野出身の大森正男氏よりの多額の浄財により銅板葺きとなり、現在に至っています。
御神体は正和4年(1315)丹後の仏師・石見坊諍観の作で平成17年6月9日に国指定重用文化財として文部科学省から認定され、それぞれ木造女神座像(伝・木花之咲耶姫命-座高40.5cm)、木造男神座像(伝・鷹飼-座高37.2cm)、木造男神座像(伝・犬飼-座高36.9cm)で、三体とも檜材、一木造坐像、刀法をはじめ面貌までも似ており、わずかに着衣、双手等にちがいを見ることができます。胡粉地の彩色も経年ため古色を帯び、高貴な男女神の相好を示す優作です。
相殿神が御神体と異なるのは、明治元年(1868)の神仏分離令により権現などの仏教的な用語を用いることが禁止され、現在の神名になったとされています。
また、境内裏を流れる新名庄川には浅間神社のお宮橋があり、春には桜の名所として賑わいます。
名称 | 淺間神社(忍野八海) |
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読み方 | せんげんじんじゃ |
通称 | 忍野八海淺間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ) |
参拝時間 | 参拝24時間
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トイレ | 社殿裏にあり |
御朱印 | あり 忍野八海の守護神である「浅間神社」「諏訪神社」「稲荷社」の三面奉書となりますが、その他、兼務社や所管社などの朱印があるので問い合わせ下さい。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | あり 忍野八海の神水を使用しているので墨が少し薄い感じになります。
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御朱印の郵送対応 | あり 不備があるといけないので先に電話で問い合わせを頂きます。
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御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0555-84-2857 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 主祭神:木花之開耶姫命
相殿:天津日高日子番能邇邇藝能尊・大山津見命 |
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創建時代 | 大同2年(802) |
ご由緒 | 世界文化遺産、また、国指定天然記念物でもある忍野八海(国と忍野八海浅間神社の所有の八つの池)に鎮座する当浅間神社は大同2年(807)の創建です。地元では「忍野浅間神社(おしのせんげんじんじゃ)」、「忍草浅間神社(しぼくさせんげんじんじゃ)」、一般には「忍野八海浅間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ)」と称され、崇敬されています。 文治2年(1186)、現在地に社殿を再建し、建久4年(1193)に将軍・源頼朝が富士裾野の巻狩りの際に鳥居地峠から鬼坂までを社領と定められ、同年8月6日に鎌倉幕府から武運長久祈祷があり、鳥居地峠に和田小太郎義盛、畠山次郎重忠の寄進による神門と金剛力士像(運慶作と伝えられる)が建立されましたが、現在は二天王像(四天王のうちの持国天【東方の守で青】・増長天【南方の守で赤】の二像で阿形と吽形)が神門に安置されています。 慶長18年(1613)11月に社殿を再建。宝永2年(1705)11月に本殿を三間社極彩色に再々建。正徳3年(1713)6月に東国の溝中。武州江戸本郷春木町の伊右衛門・三佐衛門・喜平治などにより大僧正常然書の大鳥居の「富士大権現」扁額奉納されました。 延享3年(1746)4月に拝殿を再造営。天保2年(1831)に現在の天屋拝殿を再造営。神門、及び拝殿は茅葺屋根のため幾度か葺き替えを行われましたが、昭和51年(1976)9月に忍野出身の大森正男氏よりの多額の浄財により銅板葺きとなり、現在に至っています。 御神体は正和4年(1315)丹後の仏師・石見坊諍観の作で平成17年6月9日に国指定重用文化財として文部科学省から認定され、それぞれ木造女神座像(伝・木花之咲耶姫命-座高40.5cm)、木造男神座像(伝・鷹飼-座高37.2cm)、木造男神座像(伝・犬飼-座高36.9cm)で、三体とも檜材、一木造坐像、刀法をはじめ面貌までも似ており、わずかに着衣、双手等にちがいを見ることができます。胡粉地の彩色も経年ため古色を帯び、高貴な男女神の相好を示す優作です。 相殿神が御神体と異なるのは、明治元年(1868)の神仏分離令により権現などの仏教的な用語を用いることが禁止され、現在の神名になったとされています。 また、境内裏を流れる新名庄川には浅間神社のお宮橋があり、春には桜の名所として賑わいます。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三世界遺産御朱印お守り重要文化財祭り人形供養 |
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