やまなかすわじんじゃ
山中諏訪神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
山梨県山中湖村にある山中湖畔から少し入った場所にある神社で、旧社格は村社。
本殿は武田信玄の寄進によって造営されたもので、1684年に本殿を修築してから、安産子授けの神様として知られるようになり広く崇敬されているとのことです。
山中諏訪神社は、崇神天皇の御代7年(104)、疫病が蔓延したため、勅命を以って豊玉姫命を奉り、創祀されたのが創建です。康和3年(966)、村人が開墾の守護神として建御名方命を合祀し、諏訪大明神、山中明神とも呼ばれてきました。天文21年(1552)には、武田晴信が北条氏との合戦に際し、御加護を請ひ奉らんと本殿を造営寄進。貞享元年(1684)に本殿を修築。明治5年村社に列せられました。
御祭神は、豊玉姫命と建御名方命。豊玉姫命は、海神・豊玉彦神の御娘で、出産の折、産屋の屋根も葺き終らないうちに鵜葺屋葺不合尊(神武天皇の御父)をご出産したという神話に基づき、結婚、出産、即ち縁結び、子授け、安産、子育ての神として崇められてきました。
秋の例祭は「山中明神安産祭り」として知られ、毎年9月4日から6日にかけて行われます。例大祭の宵宮の朝には、対岸の明神山奥宮にむら雲が湧き、豊玉姫命が白龍に乗って湖水を渡るお渡りの御儀があり、湖上にくっきりと御道がつき、この道を拝観された時は吉兆とされ、豊年万作、思う事が思う叶うとされています。
4日から5日にかけて御旅所においては神社役員、崇敬者によるお籠りがあり、深夜丑の刻(午前2時)には御祭神が寝てしまわぬよう御神歌を謡い、三度神輿をゆり動かす特殊神事が執り行われます。
この時に、緑の藻が水面に浮いて、魚類も明神様を送迎すると伝えられ、漁師は湖に網を張る事、舟を乗り入れる事を禁じています。
神輿は4日にお旅所まで渡御し、翌5日に本宮にお戻りになられます。この際、神輿を舁ぐとより御利益があると云われ、足袋、裸足姿の婦人達(子宝に恵まれたい人、安産を願う人、嬰児を背負った安産の人)が競って神輿に群がり、その御神徳にあやかります。
神輿が本殿に納まる前には神輿を先頭に大勢の人が数珠つなぎになって、
諏訪の宮 みかげさす
右龍がいにも 左龍がいにも
もそろに げに もそろ
と、「諏訪の宮」の御神歌を唱えながら、御神木の周りを3回廻ります。この時、子授け、安産を願い、又嬰児を背負って健やかな成長をと願うお礼参りの女性達は、皆、足袋跣正装姿で競って神輿に縋りつきます。神輿に触れることで神様に近づき、ご利益が約束されます。妊婦が神輿を担ぐところから「孕み祭」、「はらぼて祭」とも呼ばれ、このような情景は他の祭りでは見られないため、奇祭として全国に知られ、多くの参拝者が訪れます。
また、お旅所では、氏子の女性たちが「お篭り」をして、お灯明を絶やさないようにし、その蝋燭は参拝者にお守りとして配られています。
年に一度の安産祭りにお参りに行きました。
お祭りのため御朱印は特別な印で書き置きで用意されておりました。 この日は本祭りの日で本堂には神様が不在とのことで、本祭りの日は御旅所(御霊屋)で頂けるそうです。
山中諏訪明神祭
おぼちゃん。
子宝、安産、子育てのお守りと併せてもち歩くと良いと言われてる。
ひとつひとつ手作りで、表情やおくるみがひとつひとつちがう。
お焚き上げなどに持っていかず、ずーっと持ってても大丈夫なお守りだそうで、1番フサフサ髪のやんわり笑みを浮かべている子を選んできました。500円也。
御旅所。
御旅所、(御霊屋)からお神輿が、出てきたところです。
神様が宿っているお神輿。
このお神輿に乗って御旅所から本堂へ神様が移動します。このお神輿に触れる(連なる)と、ご利益があるとのこと。
夕方御旅所を出発して、夜日付がわかる頃まで神様を宿したお神輿は時間をかけて移動します。フィナーレは本堂にある御神木の周りを3週するそうで、そこでは子宝祈願、安産祈願、御礼参りに来た方々みんなが連なって大盛り上がりを見せるとか…(そこまで居れなかった…残念…)
御祭神は、建御名方神と豊玉姫命。
安産子授けの守護神として崇敬され、毎年九月の例大祭「山中明神安産祭り」は、妊産婦や新婚女性が集まるお祭りとして全国的に有名らしい。
本殿
本殿上の彫刻に天女の姿が。豊玉姫命かしら。
手水舎の彫刻も見事。
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