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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
見本寺ではいただけません
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名称見本寺
読み方けんぽんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご本尊一塔両尊四士 曼荼羅
山号長栄山
宗旨・宗派日蓮宗
創建時代1469年(文明元年)
開山・開基顕峯阿闍梨
ご由緒

かつてこの地に真言宗の信蔵寺・顕峯寺という2寺があった。
時の住持と思われる顕峯阿闍梨(後に改めて日向)が法華経の教義を慕い日蓮宗に帰属、2寺を併せて開基となる。
時に1469年(文明元年)といわれる。
見本寺の寺号は、後に元禄の世に及び身延33世遠沾院日亭より賜ったもので、当寺の開山はそれより先。1509年(永正6年)に身延12世円教院日意によったものとされる。
安永・天保と両度の回禄に由緒宝物を失うに至る。
その後庫裡・書院・鐘楼堂は再建されたが、本堂の復興は容易に成らず。
21世日慈に至り、慶応2年、身延より永紫金跡を許された。
明治21年本堂再建を企図し、完成間近の22年9月、風災のため倒壊の厄に遭ったので再び着工、25年4月に至り竣工した。
しかるに22世日逮の代、明治30年4月、3度の祝融に罹り諸堂悉く焼失。
37年に2倍もの広さを持つ堂宇を完備し、身延より永緋金を許された。
『武田誠忠録』によると、美濃の一族の小笠原氏が武田信玄に投じ甲州に帰化して、北巨摩小倉の地に封ぜられ、生国丸毛の郷に因み丸茂の姓に改め代々名主となり、その後丸茂一族は当寺を菩提寺となすという。
檀方に丸茂氏が多いのはこのためである。
寺は身延直末にして通師(裏身延妙了寺)法縁。

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