かんだてんじんしゃ
菅田天神社のお参りの記録一覧
参拝させて頂きました。御朱印を頂きたかったですが普段は頒布してない様子です。楯無の鎧で有名な「小桜韋威鎧 」が所蔵されているという蔵もありました。
鳥居
由緒書
瑞神門
手水舎
拝殿
塩山地区神社巡り①夏休みに入って渋滞が半端ないので平日に参拝することにしました。甲州市役所の眼の前に鎮座しています。国宝に指定される武田家家督の証「小桜韋威鎧」が収蔵されていますが、一般公開はされていません。但し数年に一度公開されるようですので、こまめに甲州市役所の案内を見てみるといいかも。甲府の鬼門にあたることから鬼門除けとされる。この辺りは神社仏閣の古刹が多く、武田家に庇護されていたようです。歴史ある神社ですが、少々荒れた感じがしました。どなたか人がいれば色々話を伺いたかんのですが残念でした。
一の鳥居
社号標
二の鳥居
手水舎
随身門
参道脇に池の跡らしきもの、中に石祠がありました
社務所に残念な貼り紙
灯籠
境内社
狛犬
拝殿
扁額
撫で牛
拝殿から随身門を望む
灯籠
神楽殿
境内社 祖霊社
社号標
脇参道鳥居
注連柱
【甲斐国 式内社巡り】
菅田天神社(かんだ・てんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社。旧社格は県社。祭神は素戔嗚尊、五男三女神(素戔嗚尊の御子神)、菅原道真公。当社所蔵の小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい)は国宝。
『甲斐国社記寺記』によると、平安時代の842年、甲斐国司・藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建、「神田明神」と呼ばれた。1004年に菅原道真公を勧請し相殿神として祀ったため「菅田天」と呼ばれる由来となった。古くから甲斐源氏の鎮守とされ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受けた。武田信光は社殿を造営するとともに、甲府の鬼門の当社社殿に武田氏家宝の「御旗」(雲峰寺所蔵)と「楯無鎧」(小桜韋威鎧兜大袖付)を安置し、鎧は於曽氏に守護させた。1561年武田信豊から、1564年板垣信安から社領の寄進を受けた。武田氏滅亡後の1583年には徳川家康から社領の安堵を受けている。
当社は、JR中央本線・塩山駅の西方500mの市街地にある。南側の県道を挟んだところには甲州市役所がある。境内は旧県社としては小さめだが、その分敷地は目一杯活用されている感じ。大きな社殿、神門、境内社、神楽殿、社務所、授与所がギュッと集まっていて、境内全体としても高い木々による包まれ感もある。国宝の楯無鎧を収めた宝物庫は非公開のようで残念だった。
今回は、所蔵する楯無鎧が国宝ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分たち以外にも何組かの家族連れなどが参拝に訪れていた。
※ネット上は御朱印があるようだが、参拝当日は「都合の為、御朱印はお受けできません。」と書かれていた。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。
石製の一の鳥居に対して、続く<二の鳥居>は木製の六脚鳥居。
参道を進むと、一段高いところにある<隋神門>。
隋神門の手前、参道右側にある<手水舎>。
手水舎の裏手にある境内社群。中央の石祠にはたくさんの大黒さまが。
大黒さまの背後の境内社。手前の石柱がりっぱ。
隋神門の左側にある<社務所>。
隋神門をくぐったところ。石燈籠の多さは信仰の篤い氏子の多い証かな。
参道の左側を向くと、2本の石柱に注連縄を架けた鳥居の奥に<聖徳太子頌徳碑>が見える。
参道左側にある<宝物庫>。石碑には「國寶 小櫻韋威鎧」とある。
左側の<狛犬>。口の裂け方が半端ない?笑
参道右側の<狛犬>。口の裂け方が半端ないので、見た目ちょっと怖いかも。(^_^;)
参道正面の<拝殿>全景。塗装にメリハリがあって、パリッとした印象。
<拝殿>正面。「菅田天神社」と刻まれたシンプルな扁額。
拝殿に向かって右側にある<撫で牛>。
拝殿後ろの<本殿>。塗装がビビッド。
拝殿に向かって右手にある<神楽殿>。
神楽殿の右隣にある<祖霊社>。
拝殿の右隣にある境内社群。
境内社群と神楽殿の間にある<御神木>。
拝殿に向かって左手にある<神札授与所>。御朱印はもらえず残念...(^_^;)
駐車場はありません。近くの市役所駐車場に停めました。市街地で木に囲まれた神社。神職さん常駐ではないようです。
信号機の近くに鳥居
赤が鮮やか
随神門
茅の輪
神楽殿
甲斐源氏の祖新羅三郎義光
山梨県のおすすめ2選🍁
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