やまなしおかじんじゃ
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楽しみ方山梨岡神社のお参りの記録一覧

以前参拝した時は御朱印はなかったはず、と思いつつ到着すると以前とは異なる雰囲気。同名の神社でした。「いつでも連絡をして下さい」とのことでしたが、どなたも出ず。参拝のみにしました。

寛政十年(「1798)建立の由緒碑

参道

明治二十四年(1991)建立の芭蕉句碑「名月や池をめくりて夜終よもすがら」

神池

手水舎

手水鉢

神楽殿

県指定民俗文化財「太々神楽」説明板

昭和八年(1933)狛犬

昭和八年(1933)奉納の狛犬


元禄十五年(1702)建立の拝殿


扁額

昭和二年(1927)改築の本殿(重要文化財)旧本殿は室時代末期の建築様式で飛騨の匠あるいは武田の番匠の造営とされていました


国重要文化財「本殿」説明板

神蔵

境内社 重大夫稲荷社


境内社 天王宮

忠魂碑 「安正」揮毫(陸軍大将となった福島安正のことだと思われます)

殉国士の銘碑 明治神宮宮司の揮毫(はっきりとは確認できませんでした)

藤棚(市天然記念物)

静かな佇まいの神社でした😌
こちらのフジは4月下旬が見頃のようですが、今年は咲き終わっていました。
社務所も閉まっていました。

拝殿


手水舎

御神木

【太々神楽】社伝によると別名『武田信玄出陣の神楽』とも言われていたそうです。



山梨岡神社(やまなしおか~)は、山梨県笛吹市春日居町鎮目にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。境外摂社の吾妻屋宮も式内論社。祭神は大山祇神(おおやまつみ)、高龗神(たかおかみ)、別雷神(わけいかずち)の3柱。本殿は国指定の重要文化財。なお「山梨」の地名は当社の社名に由来すると言われる。
社伝によると、崇神天皇の御代、疫病が蔓延し勅命により日光山高千穂の峰(当社背後の御室山と推定されている)に3柱の祭神を祀って近郷の鎮守としたのが始まり。成務天皇の御代に群境を定めるにあたり、御室山麓の現在地にあった梨の木数株を伐採して遷座し、鎮座地を「甲斐嶺山梨岡(かいがね・やまなしおか)」と名付けた。(当地が律令制下の甲斐国山梨郡山梨郷に比定されるため、これが郡名の由来であり、現在の県名の由来であるとされる。)当地周辺は古墳時代の考古遺跡が多数分布し、甲斐4郡成立後には甲斐國の初期国府と考えられており、奈良時代、平安時代の州ラック遺跡や古代豪族の氏寺(寺本古代寺院)などが分布している。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 山梨岡神社 小」の論社となっており、他にも同名の論社が1社(山梨市石森)ある。また、境内社の吾妻屋宮も『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 甲斐奈神社 小」の論社となっており、他にも論社が3社(甲斐奈神社(笛吹市一宮町)、甲斐奈神社(笛吹市春日居町国府)、甲斐奈神社(甲府市中央))ある。
戦国時代には、領主武田氏からの崇敬を受けたが、武田氏滅亡後、1583年に徳川家康から社領安堵を受けた。江戸時代になると朱印地8石を下賜された。明治時代には、郷社に列した。
当社は、JR中央本線・石和温泉駅の北東1kmほどの御室山の山麓にある。境内南側300mのところを国道140号線(秩父に抜ける幹線道路、別名「雁坂みち」)が通っている。山の麓ということもあって、境内周りは境界があいまいな感じで、参道も真っ直ぐではなく、神社というよりも寺院という感じを受ける。旧郷社ということでけっして大きくはないが、古代甲斐國の中心地、本殿は室町期の建立で国重文、山梨の地名の由来になっているなど、歴史ロマンに浸ることができる。
今回は、一日甲府旅行の5社目、式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者は見かけなかった。
※社務所に宮司さんの連絡先が掲示してあり、電話をすると来ていただけるとのこと(ネット情報)であったが、連絡先を発見できず、ご朱印拝受は断念した...涙

境内地の南方300m、国道140号線沿いにある<社号標>。少し進むと<平等川>に架かる<神橋>を渡る。背後の<御室山>を目指すので分かりやすい。

境内地が近づくと、奉納石柱が現れる。でも鳥居が見えない。

境内地の入口はこのあたりかな? 当社、なぜか鳥居がないので、どこからが神域なのかが分からない...(^_^;)

進行方向左手にある<社務所>。ネット情報ではここに宮司さん宅の電話番号があって御朱印を拝受できるということであったが、肝心の電話番号が見付からず、ご朱印拝受を断念...涙

やがて社殿が見えてくる。参道がまっすぐではなく、明確ではないので、なんとなく寺院に入って行くような感覚。(^_^;)

参道脇の植栽はきれいに整えられており美しい。

参道上の<神橋>の周辺は日本庭園のようになっている。

進行方向左手にある、しっかりとした造りの<手水舎>。

進行方向右手にある<神楽殿>。珍しいことに、神楽殿と本殿が渡り廊下で繋がっている。まるで鐘楼と本堂が繋がった寺院みたい。

拝殿と神楽殿の間の手前に立っている<御神木>。

<拝殿>全景。江戸時代中期1702年の建立。桁行五間梁間四間の入母屋造平入、桟瓦葺。まるで仏堂のような雰囲気。旧郷社にしては大きく、威風堂々としている。

左側の<狛犬>。手前の燈籠とともに、そんなに古いものではなさそう。

右側の<狛犬>。口中の彩色が鮮やか。(よく見ると口から血が出てる...(^_^;))

<拝殿>正面。<山梨岡神社>と書かれた扁額。床面がかなり低く、3段登ってそのまま内陣に続いている。

社殿右側の境内。石積みの遺跡のようなものがある。

神楽殿から見た<拝殿>。神社らしくはないがなかなかきれいな造形で、しかも300年の歴史があると思うとスゴイ。

社殿左手にある建物。<宝物庫>かな?

社殿の左側にある境内社。扁額の字が見えなくなっているが、<天王宮>と<重大夫稲荷社>という境内末社が2社があるらしいので、そのどちらか(そう言えば、社殿右側の奥に小さな社があった)。

こちらが国指定重要文化財になっている<本殿>。室町時代の建立で、桁行二間梁間一間、隅木入春日造、杮葺。

境内入口脇にある<郡石(こおりいし)>。古代律令制下で甲斐国における郡の境を決めたものとのこと。

この石の周辺にあった梨の木数株を伐採して当社が遷座したので、付いた郡名が<山梨>。なるほど...(^▽^)/
美和神社に続いて参拝させて頂きました。
写真を撮ったり色々見て廻っている間に地元の方っぽい人が1人参拝されていました。
やはり式内社としては寂しいですね。
社務所は閉まっていましたが、4月下旬になると藤の花が満開になるそうなので、そうすると参拝者も増えて社務所も開くのかな?
ページがなかったので追加しました。
詳細情報の御由緒は山梨県神社庁の神社紹介より引用させて頂きました(改行のみ変更)。

入口の案内標識

社号標
案内標識のすぐ下にあります


参道

結構長いです




4月下旬が見頃だそうです








手水舎




拝殿


本殿




例大祭が近いからでしょうか?
御神輿がありました


大きさ的には神輿蔵ではないかと思われます

神楽殿


別角度から







枝葉で隠れていますが忠魂碑です



中を覗くと

稲荷社のようです

社務所


駐車場だと思われますが、鎖が張られていました

JR中央本線石和温泉駅から徒歩15分くらいのところに居られます。
人皇十代崇神天皇(3世紀後半~4世紀前半)のときに国内で疫病が流行し災害も多いことから、御室山山頂に創建されたそうです。
あらー、ここも御室山ですね。GoogleMapを見るとここから西に御室山古墳というのがありますのでここのことでしょうか。
今の場所には政務天皇(4世紀中ごろ)のころに移されたようで、このときに「甲斐ヶ根、山梨岡神社」と号したことから
「やまなし」の語源発祥の地と言われているようです。
本殿は国指定の重要文化財だそうで(写真は撮れてません…なんで撮ってなかったのかと過去の俺に問いたい)
境内の裏山一体も県の文化財に指定されているようです。
渋くてかっこいいなぁっていう印象です。

拝殿です。地味ながらもまたそれが良い。

昭和8年生まれの狛犬さんです。

口の彩色だけでも迫力が出てくるのが分かりますね。

白いのは苔でしょうか。

風格も感じられますね。

神楽殿です。繋がっている回廊もあわせて良い感じですね。

こんな写真も撮ってみたり。

池に映る境内もいいもんです。

手水舎です。

桜もそろそろ終わりといった感じでしょうか。



藤も有名みたいですね。ただ、少し早かったようです。

山梨岡神社の郡石、山梨郡の要石なんだそうです。


人気(ひとけ)はなかったのですが、オープンに開けられておりじっくり拝見することができました。

本殿

御神木の杉の木

ここのお神楽は無形民俗文化財なんだそうで
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