さかおりのみや
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楽しみ方酒折宮のお参りの記録一覧

②甲斐善光寺より歩いて10分位山梨県唯一古事記日本書紀に記述のある酒折宮へ。
御祭神 日本武尊
本日10,687歩 222w7-9

連歌発祥の地 御朱印

拝殿

手水舎

酒折祠碑

狛犬越しの拝殿

⛩


柿とゴールデンキーウィ頂きました

JR中央本線で高尾までのんびりの帰路🚃

甲府へ続く

車窓 紅葉が綺麗🍁

酒折駅より徒歩5分。
山梨県では県内で唯一、古事記、日本書紀に記載されている古社。連歌発祥の地。
善光寺から徒歩で参拝。日曜日でしたが社務所は閉まっていました。参拝者が私一人だったのでとても和やかに参拝できました。
主祭神:日本武尊
社格等:旧村社
創建:不詳
本殿の様式:神明造
例祭:10月17日

この歌は、日本武尊が酒折宮の老人に「新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と尋ねたところ、老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と答えたことから、連歌の始まりとして知られています。




本殿


手水舎


参拝させて頂きました。社務所が今日は開いているようでしたので御朱印頂けました。ヤマトタケルを祀られていて連歌発祥の地だそうです。本居宣長の山縣大弐の碑があります。

踏切の前にも鳥居があって渡ると二の鳥居

由緒書

手水舎

拝殿

拝殿

連歌発祥の地

本居宣長の碑

山縣大弐の碑

過去の参拝の記録の為に投稿。
山梨県甲府市に鎮座。祭神は日本武尊。
『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる。
宮に滞在中の夜、尊が
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が
「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌。尊がこの老人の機知に感嘆したと伝えられている。
この伝承をもとに、現在でも連歌の大会が催されている。





笛吹市〜甲府市③
雨の中の参拝になりました。
石和温泉から歩いていきましたが、このあたりは山梨学院系列の学校だらけです。
石和温泉って甲府のすぐ隣なんですねー
こちらのサカオリノミヤも山梨学院のすぐ隣にあります。
由緒を見ると、連歌発祥の地と書かれています。
連歌とは、二人以上の人が和歌の上の句と下の句とを互いによみ合って続けて行く形式の歌。神職の方に、レンカって何ですか?と聞いて見ると、これはレンガと読むということ🫣日本武尊もこの地で連歌を嗜んだこと、こちらで連歌イベントをやるときがあり、山梨学院も参戦することをを教えて頂きました。
こういう話を聞けるのっていいですよねー


到着っ!雨っ!

参道。左は林、右は山梨学院です

雨の狛犬もいいですよねー

手水舎

拝殿

拝殿アップ

甲子園優勝校ですねー

直書きで頂きました。
いろいろ教えて頂き感謝です。

東国を平定しに行った日本武尊さまが朝廷へ戻る途中の停泊地として建てた行宮(あんぐう)がそのまま神社となりました。記紀にも東征の段で名前が出てくるため、甲斐国の中でも最古の神社と言われています。

《鳥居》
酒折駅から徒歩10分くらいです。なんか地図では近く見えるのですが、意外に遠い…

《連歌の碑》
内容としては常陸国の新治、筑波を出てどんくらい経ったっけな・・・という詩に火焚きの番人が9泊10日くらいですわーと歌で返したことから連歌発祥の地といわれています。
日本武尊さまは景行天皇さまによって結構恐れられていたため、西へ東へ出征を命じられ続けられており、なかなか故郷へ帰れませんでした。そのため故郷を偲ぶ詩をよく作っています。

《表参道》
意外とこじんまり?してます。戦国時代には武田家に土地取られたんだとか…

《手水舎》
水は出ず消毒液でした。


《酒折祠碑》
酒折宮の由緒です。記紀にも名前が出てくる神社であるということは、古事記を研究した本居宣長先生が触れてないわけがないですよね。

《拝殿》🙏
やはり皇族に関連する方の神社のため、伊勢の神宮に近い建築様式を取っています。

《賽銭箱前》
大祓の形代がありました。そういえばそろそろですね。

《御守り》
👁チェックポイント‼️
今回は"豊か守"と"火打石守"を受けました。
この酒折宮自体、部下だった塩海足尼という人を甲斐国造に任じ、火打ち袋を授けたとされています。その火打袋を御神体として建てられたそうですが、残っているのでしょうか?

《南参道》
酒折宮から線路沿いに向かうとここに着きます。

日本武尊が問いかけた片歌に御火焚の者が片歌で答えた、という連歌発祥の地。
日本武尊が酒折宮を発つ時に「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」と火打嚢を残していかれたそうで、後にその火打嚢を御神体として御鎮祭した。
鎮座1900年を超す歴史ある神社です。
一の鳥居を過ぎると、中央線が横切り、そしてニノ鳥居に続くという、不思議な神社です。

ニノ鳥居
近くには古墳や石造物が点在する丘のような場所にあります。



拝殿

屏額の文字がなんとも風情を感じます


一の鳥居を見るとちょうど貨物列車が通っていました。

連歌の碑
裏山には万葉仮名で詠まれた碑があるそうですが、行けそうもないので、現代文に訳された碑を撮っておきます。

火打嚢だと思われる印が押してあります。
女性の神職さんに「よいお年をお迎え下さい」と声を掛けて頂きました。
奥ゆかしく、歴史あるお宮にぴったりの印象でした。
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