かいなじんじゃ
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山梨県のおすすめ2選❄️
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山梨県甲府市にある神社。
当初は北方の愛宕山山頂に鎮座していたが、永正年間(1504〜1520)に武田信虎により蔵田に移された。
その後、天文年間(1532〜1555)に長禅寺が現在地に移るとともに、その境内に移されたとされる。
古くは白山権現や白山神社と称していた。
その関係で現在の祭神は「菊理姫命」としているほか、文禄年間(1592〜1596)に東青沼から浅間神(木花咲耶姫命)が移され、ともに祀っている。
慶応4年(1868)から現在の「甲斐奈神社」と称している。
【甲斐国 式内社巡り】
甲斐奈神社(かいな~)は、山梨県甲府市中央にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。主祭神は菊理姫命、木花咲耶姫命、相殿神は瓊瓊杵命、大山祇命、石長姫命、若彦命。
創建は不詳。社伝によると、人皇第2代綏靖天皇の御代(紀元前581年~紀元前549年)、甲斐国開拓に際し、甲斐奈山(現愛宕山)の頂に白山大神を祀ったことに始まる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 甲斐奈神社 小」の論社となっており、他の論社としては甲斐奈神社(笛吹市春日居町国府)、甲斐奈神社(笛吹市一宮町橋立)、吾妻屋宮(笛吹市春日居町鎮目;山梨岡神社摂社)がある。戦国時代の永正年間(1504年~1520年)に武田信虎の築城に際し現在地に遷座され、文禄年間(1592年~1595年)に甲府城築城に際し、東部守護神として浅間大神が併祀された。明治時代に入り、近代社格制度のもと郷社に列したが、1945年の米軍による空襲で社殿等悉く焼失、二十数年後に旧に復した。
当社は、JR中央本線・国府駅の南東1kmほどの市街地の中にある。境内全体が盛土造成された上にあり、社殿含め、ほぼすべてが新しく作られているように見える。社殿は大きいが、境内自体は広くはない。境内社などは境内西端に集められ、参拝者が楽しめるよう解説も充実している。草木もほとんどないため、古社と思うと違和感はあるが、甲府市内の好立地にあるきれいな神社なので人気がありそう。
今回は、甲斐國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、新車の御祓いに来ている家族連れがいたが、それ以外には参拝者はいなかった。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。車で前の道を走っても、境内が全て一段高くなっていて綺麗な白い石垣しか見えないため、鳥居を見付けない限り神社とは分からないかも。
階段を上がると、いきなり目の前に真新しい<拝殿>。
階段を上がってすぐ右側にある<手水舎>。
鳥居の左側にある<狛犬>。階段を登ってしまうと、正面構図は撮れない...(^_^;)
鳥居の左側にある<狛犬>。目の白眼部分、歯、爪が金色の珍しい彩色。ゴージャス感あり。
<拝殿>正面。「甲斐奈神社」の木製扁額。すべてが真新しい感じ。
手水舎の裏(境内西側)に境内社群があるので見て廻る。
まず左端は、おそらく旧鳥居の石製扁額や「延命長寿社」の石柱など。
その右側はこんな感じに境内社が並んでいる。諸霊社の社殿を中心に動物霊、水子霊、無縁霊などの石碑が見える。
家内安全社、学業成就社、交通守護社など、心願直結の分かりやすい境内社が並ぶ。
境内社右端にある大きな木製の社殿が健康守護社。分かりやすい。
境内への階段を上がって右側にある<子そだち石>、<命の石>、<夫婦いちょう>。旧境内には夫婦いちょうが立っていたのかな。
手水舎近くから境内東側の<社務所>を望む。この時は、車の御祓い中。
社務所の右側(南側)にある<神楽殿>。
神楽殿の右側にある<巽龍神社>。
社殿の右奥にある小祠。後ろは昔からの<御神木>かな。
拝殿後ろの<本殿>。大きな拝殿に比べ、かなり小さい。
最後に神楽殿前から<社殿>全景。真新しいので、まったく古社には見えないが、神社に馴染みがない人でも親しみやすいかも。(^▽^)/
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