ていげつさん がつぞういん(にわつきかんのん)|天台宗|庭月山
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庭月山 月蔵院(庭月観音)の御朱印・御朱印帳
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山形県最上郡鮭川村に境内を構える、庭月山 月蔵院、最上三十三観音霊場、三十三番札所にて、結願、満願の寺として有名です、境内の景観、各所も見所満載の寺院です、寺院住職さんもとても気さくな方で他の霊場巡りの情報等色々話して下さりました。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は庭月山、寺号、院号は月蔵院、宗派は天台宗 、御本尊は慈覚大師 御作の聖観世音菩薩、最上三十三観音霊場、第三十三番札所、出羽百観音の一つ、最上三十三観音、置賜三十三観音、庄内三十三観音全て巡り百観音巡りとなり、出羽百観音結願証、最上三十三観音結願、満願の寺、結願証、満願証を発行して頂けます。近江の国、鯰江の城主、佐々木新太郎綱村が、出羽の国に国替となり、その姓を鮭延と改め、真室城を居城とした。彼は、常日頃から観音を信仰し、近江から持参した本尊を城内に安置したのであった。ところが、家臣の庭月利左衛門広綱は、「観音は人々の苦しみを救う仏であるから、しかるべき霊地へ奉安し、広く一般の人々に礼拝させるようにしたらいかがなものか」 と進言した。それにより、鮭川の清流に沿った風光明媚の土地に本尊が移遷され、それ以来、庭月と呼ばれ、多くの信者を集めるようになったのである。鮭延氏が他国に移封され、庭月一族もそれに従ったことから、観音堂は一時荒廃を極め、見る影もなくなってしまったのであった。そこで、戸沢侯自らの発願により信徒から寄付を募り、寛文十一年四月(1671)現在地に移転された。落慶法要は延宝四年(1676)七月三日、円満寺住職、尊純法印を願主にして、盛大な法要が執行されたという。工事費は金八十両、米六十俵、戸沢侯よりは米二十石の寄進がなされている。また、尊純法印の発願により阿弥陀堂が建立された。その後、蓮雄法印が弘化年間に再びお堂の建立を計画し、嘉永五年八月に落慶したのが、現在のお堂である。庭月の境内に入ると、まず「おかげ様門」をくぐる。我々は数え切れない程の「恩恵」を受けて生かしていただいていることに気づきなさい、ということなのである。巡礼堂があり、本堂があって、仁王門をくぐり石段を登り切ったところに観音堂がある。それを正面にして、右側に鐘楼 阿弥陀堂、光姫塚、百観音堂や記念碑などが建立されている。ご詠歌を奉詠し、おいずりを本堂に納めて帰ることから、本堂を別名「おいずり堂」ともいうのである。おいずりのほかに、納経帳や、掛軸の古いものなども沢山納められてる、
最上三十三観音霊場、満願証
最上三十三観音霊場、結願証
出羽百観音結願証
庭月山 月蔵院(庭月観音)の御朱印・御朱印帳の写真一覧(1枚)
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