真言宗智山派
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楽しみ方龍頭寺のお参りの記録一覧

龍頭寺 鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮の横です。

龍頭寺 鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮の横です。留守らしくスタンプを受領

龍頭寺 鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮の横です。

龍頭寺 鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮の横です。

山形県 飽海郡 遊佐町 上蕨岡字 松ヶ岡 に境内を構える、鳥海山 龍頭寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます 2023.10月に出羽百観音、庄内三十三観音霊場巡礼にて参拝致しました、人が訪れ忙しい中寺院の方丁寧な対応をして下さりました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 鳥海山、寺号 院号は 龍頭寺、宗旨 宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 薬師如来、庄内三十三観音霊場 第十九番札所、荘内平和百八観音霊場 第三十三番札所、札所本尊はどちらも 十一面観世音菩薩 出羽百観音の一つ、庄内十三仏霊場 第六番札所 札所本尊は弥勒菩薩、出羽路十三仏霊場 第七番札所 札所ご本尊は薬師如来、龍頭寺の創建は大同2年(807)、慈照上人が開いたのが始まりと伝えられています。又、一説には貞観2年(860)慈覚大師円仁が鳥海山に巣くう赤鬼、青鬼を退治し蕨岡に堂宇を設けたのが始まりとされ、鳥海山を龍に見立てこの地が龍の頭にあたる事から龍頭寺と称するようになったと伝えられています。近世以前は資料等が少なく詳細は不詳ですが当初は松丘山観音寺として33坊を擁し、大物忌神社の祭祀を司っていたとされます。又、一山一帯が山城のように防衛施設があり大きな影響力があったと推定され最上家などの支配者とも密接に関わりがありました、明暦元年(1655)以後に鳥海山龍頭寺と改称し、より鳥海山と密接することで蕨岡口が鳥海山修験の中でも大きな勢力を持つようになります。同じ鳥海山修験の矢島口との本社造営問題や山頂境界線争い、吹浦口との一之宮争いを悉(ことごと)く有利に裁定を受け次第に蕨岡口が主導的な地位を確立していきます。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により大物忌神社の仏式が廃され、龍頭寺以外の坊は全て神職となり、さらに明治5年(1872)に修験道廃止令の発令により次第に衰退していきます











龍頭寺にて御朱印を頂きました。
不動明王の散華と真言宗豊山派のお寺なので智積院のお守りなどをいただきました。
龍頭寺は鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の隣に鎮座します。
変わった仁王様が両側に鎮座します。
ご本尊は薬師如来です。
観音堂があり庄内三十三観音霊場 第19番札所で札所本尊は十一面観世音菩薩です。
御朱印を書いていただく間に上がってみていってくださいと言われ
上がらせていただきました。
ご住職からいろいろお話を聞かせていただきました。
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御朱印

散華と智積院のお守り

本堂

本堂の仁王様

観音堂

東北遠征 山形④ 龍頭寺
鳥海山物忌神社蕨岡口のすぐ隣りにあります。
庄内三十三観音、出羽十三佛、出羽十二薬師の各霊場にもなっています。
下調べせずにお詣りしましたが、鳥海山信仰が凄く厚かったのが分かりますね。






境内案内図

鳥海山蕨岡口の全体図
山岳信仰の修験道が盛んだったと思われる

本堂

仁王さま


観音堂



庄内三十三観音霊場 第十九番
出羽十三仏札所 第七番(薬師如来)
宗派は真言宗智山派、ご本尊様はお薬師如様。
鳥海山物忌神社蕨岡口のすぐそばに居られます。
元々は鳥海山の修験道の最大の拠点だったそうで
鳥海山物忌神社蕨岡口もふくめてこのあたり一帯がそうだったのかなと。
吹浦など他の登山口にも拠点はあったものの、蕨岡が最大規模だったようで
蕨岡三十三坊と称して、その学頭寺だったそうです。
現在は17坊が残っているようですので、今度訪れるときは
そのあたりも一緒に巡りながら御朱印も頂きたいなと。
股くぐりもしてみたいし。


お堂の真ん前に仁王様。

エプロン姿が可愛いですね。

股くぐりというのがあるそうなんですが…これくぐっても抜ける先がないのでは(^-^;


龍の彫刻がカッコいいですね。



尻尾が横の梁にまで伸びています。

こういう獅子のレリーフもいいですね。

獅子といいうかライオン感が強い
山形県のおすすめ2選❄️
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