はぐろさんしょうぜんいん
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羽黒山 正善院ではいただけません
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羽黒山 正善院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月19日(木)
参拝:2023年8月吉日
山形県鶴岡市羽黒町に境内を構える羽黒山 正善院、荒澤寺本坊、歴史的御堂が建ち並び数々の札所を務める寺院、何度も巡礼で訪れましたが、快く対応して下さいました、程近くには出羽三山神社等在り、出羽三山の羽黒山修験の本山、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は羽黒山、寺号、院号は正善院、宗派は羽黒山修験本宗、ご本尊は大日如来、阿弥陀如来、聖観世音菩薩、
奥の細道みちのく路三十三ヵ所霊場、第十四番札所、
北國八十八ヵ所霊場、第三十九番札所、
庄内三十三観音霊場、第一番札所、札所本尊:聖観世音菩薩、出羽百観音の一つ、
荘内平和百八観音霊場、第一番札所、
出羽路十三仏霊場、第一番札所、正善院の創建は貞観2年(860)、慈覚大師円仁(平安時代の高僧、第3代天台座主、入唐八家)により開かれたのが始まりとされます。
当初は手向山中にあり中禅寺正善院と称し羽黒山十大伽藍(羽黒山寂光寺・添川山賀我寺・広澤山荒澤寺・堂塔山龍水寺・南流山禅定寺・手向山中禅寺・来迎山千勝寺・医王山機乗寺・不動山嘉祥寺)の1つに数えられ最盛期には300坊を擁する大寺院となりました。
建久4年(1193)、源頼朝が奥羽合戦(奥州平泉の主である藤原康衡の掃討戦)の戦勝祈願の為、家臣である土肥実平に命じて金堂山長寿寺を創建すると、その塔頭となり、寺号を金堂山長寿寺正善院に改称、その際、造営されたのが正善院黄金堂とされ、安土桃山時代に建てられた御堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの寺院、仏塔が破却され、羽黒山で残された寺院は正善院、荒澤寺、金剛樹院の三ヶ寺となり正善院は荒澤寺の本坊として羽黒山荒沢寺正善院に改称しています
奥の細道みちのく路三十三ヵ所霊場、第十四番札所、
北國八十八ヵ所霊場、第三十九番札所、
庄内三十三観音霊場、第一番札所、札所本尊:聖観世音菩薩、出羽百観音の一つ、
荘内平和百八観音霊場、第一番札所、
出羽路十三仏霊場、第一番札所、正善院の創建は貞観2年(860)、慈覚大師円仁(平安時代の高僧、第3代天台座主、入唐八家)により開かれたのが始まりとされます。
当初は手向山中にあり中禅寺正善院と称し羽黒山十大伽藍(羽黒山寂光寺・添川山賀我寺・広澤山荒澤寺・堂塔山龍水寺・南流山禅定寺・手向山中禅寺・来迎山千勝寺・医王山機乗寺・不動山嘉祥寺)の1つに数えられ最盛期には300坊を擁する大寺院となりました。
建久4年(1193)、源頼朝が奥羽合戦(奥州平泉の主である藤原康衡の掃討戦)の戦勝祈願の為、家臣である土肥実平に命じて金堂山長寿寺を創建すると、その塔頭となり、寺号を金堂山長寿寺正善院に改称、その際、造営されたのが正善院黄金堂とされ、安土桃山時代に建てられた御堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの寺院、仏塔が破却され、羽黒山で残された寺院は正善院、荒澤寺、金剛樹院の三ヶ寺となり正善院は荒澤寺の本坊として羽黒山荒沢寺正善院に改称しています
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