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六所神社ではいただけません
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六所神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月29日(金)
参拝:2021年10月吉日
六所神社は、山形県鶴岡市上藤島にある神社(旧藤島町(現鶴岡市)内には同名の神社が3カ所ある)。出羽国総社の論社。
社伝によると、創建は桓武天皇の御代、平安時代の794年。当地は出羽国国府が置かれた場所で、当社は出羽国総社として、国司奉幣の社とされた。建久年間(1190年~1199年)には源頼朝が天下泰平祈願のため金の扇子を奉納。1203年社殿再建。正平年間(1346年~1370年)には南朝の北畠顕信が藤島城で義兵を挙げ当社を祈願寺とした。戦国時代には豊臣秀吉から朱印の寄進があり、のち最上義光から黒印を受けた。かつては「満山満願寺六所大権現」と称したが、明治時代に入り「六所神社」と改称した。
当社は、JR羽越本線・藤島駅の南方400mの住宅地の外れの平らな林の中にある。実は『日本「神社」総覧』で出羽国総社とされているのは別の六所神社(鶴岡市三和)で当社ではないが、六所神社3社を確認した神社に詳しい方によると、当社が最もそれらしい神社ということだった。とは言いながらも、当社自体も境内は広くはなく、社殿も大きくはないので、いわゆる村の鎮守レベル。巨大な古木以外には特徴はない感じ。
今回は、出羽国総社(論社)ということで参拝することに。参拝時は平日の午前中早い時間、参拝者は自分たち以外にはいなかった。
社伝によると、創建は桓武天皇の御代、平安時代の794年。当地は出羽国国府が置かれた場所で、当社は出羽国総社として、国司奉幣の社とされた。建久年間(1190年~1199年)には源頼朝が天下泰平祈願のため金の扇子を奉納。1203年社殿再建。正平年間(1346年~1370年)には南朝の北畠顕信が藤島城で義兵を挙げ当社を祈願寺とした。戦国時代には豊臣秀吉から朱印の寄進があり、のち最上義光から黒印を受けた。かつては「満山満願寺六所大権現」と称したが、明治時代に入り「六所神社」と改称した。
当社は、JR羽越本線・藤島駅の南方400mの住宅地の外れの平らな林の中にある。実は『日本「神社」総覧』で出羽国総社とされているのは別の六所神社(鶴岡市三和)で当社ではないが、六所神社3社を確認した神社に詳しい方によると、当社が最もそれらしい神社ということだった。とは言いながらも、当社自体も境内は広くはなく、社殿も大きくはないので、いわゆる村の鎮守レベル。巨大な古木以外には特徴はない感じ。
今回は、出羽国総社(論社)ということで参拝することに。参拝時は平日の午前中早い時間、参拝者は自分たち以外にはいなかった。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。
参道の両側に、お行儀の良い樹木が対になって立っている。
参道左手にある<社務所>。でも無人。
参道を進んで、社殿周り全景。
参道右手にある、ちいさな<手水舎>。
<拝殿>全景。屋根が面白い形で、頂上部が煙抜きのためか、突出した形をしている。
左側の<狛犬>。珍しい姿形と表情。
右側の<狛犬>。ややエイリアン系。
<拝殿>正面。おそらく庄内地方特有の、非常に特徴的な注連縄。
<六所大明神>の扁額。光沢のある黒地に金色の文字。
正面扉の穴の形が面白い。手前(右側)は丸型で、奥(左側)は三日月型。何か由緒があるのかな?
<社殿>全景。やっぱり屋根上の突起部が、何の役割なのか気になる...(^_^;)
拝殿後ろの<本殿>。完全に覆屋になっているが、本殿のサイズは小さそう。
社殿右側にある<稲荷神社>。
逆サイドから<社殿>全景。
鳥居近くまで戻ろうとすると、到着時には気付かなかったが、鳥居脇に巨木が。
鳥居の右側にある、きれいな丸岩の<庚申>。
鳥居脇の巨木は、見る角度によって幹の太さがずいぶん違って見える。
鳥居の左側にある、きれいな丸岩の<古峯神社>。
巨木の幹が最も太く見えるショットがこちら。古木好きには堪らない。。。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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