真言宗智山派修行山
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楽しみ方南岳寺のお参りの記録一覧
鶴岡のはずれの本明寺の即身仏を拝観したあと、鶴岡の街中の寺でも即身仏を安置している寺があり、そこへ訪問。こちらも観光に開けているわけではないので、電話で確認してからいったほうが確実です。寺にいる方は普通に生活しているので・・。


入口。見た目普通の、街中にあるお寺です。

本堂は階段の上にあるようですが、即身仏は階段の下から入るお堂に安置。

こちらから中にはいれます。
ここはもともと湯殿山系の修行寺。しかし場所柄なのか今は檀家さんがいて、境内にお墓も立っている。
玄関で何度かチャイムで呼ぶとこの寺の身内の方とおぼしき女性がいらっしゃる。お盆の時期だったので檀家らしき人が出入りしていたりして、忙しいときに来て申し訳なかったかなと思いつつ、玄関の入口すぐ正面にあるお堂に案内していただきました。やはり訪問時は一度電話で確認したほうがいいですね。不在の場合もあると思うので。
こちらもお寺の身内の女性が説明。慣れたような流れるような説明をひととおり聞いてからお参りさせていただきました。ここの即身仏が一番間近に見られるかもしれません。鉄竜海上人を祀っています。手を合わせて祈るように座っている姿。12年に1回、衣を変えるそうです。

お堂は撮影できないのでパンフレットの写真から。
湯殿山系の行者に海がつくのは空海の一文字をもらっているから。鉄竜海上人は江戸末期から明治にかけて生きた人で、かなり数奇な運命をたどっています。人を殺めて故郷を追われ、この寺の行者に。当時交通困難だった加茂地域(加茂水族館のある集落ですね)への道路工事をお金を集めて工事をしたり、自分の左目をくり抜いて人々の眼病平癒を祈願したというすさまじいエピソードも。行者というのはストイックに自分のための修行をするイメージがありましたが、自分の身体を犠牲にしてまで人のために尽くす、崇高な心を持っていたんだと感動。
掘り出されたのは明治元年と伝えられています。当時すでに遺体を掘り起こすことは法律で禁止された時代となっており、法律ができる前に掘り出したということにしておこう・・ということになってるそうです。
左目は伝承の通り、くり抜いたあとがあり目がくぼんでいます。そして比較的新しいからか、右目にかすかに瞳が残っていました。びっくり。
即身仏になろうとして修行しても体が腐敗してしまったり、はたまた生前あまり周囲との関係が良くないと掘り起こされずに放置されたりということもあったそうで。そういう意味では今こうして拝める即身仏はみな人々の尊敬を集めていた方ばかりなんでしょうね。
御朱印をいただけるのか聞いてみると、「住職が法要ででかけてて、書ける人がいなくてねぇ~」とのこと。こんな忙しいお盆に来る方も悪いので、また来なさいという上人の思し召しかもしれません。

もう一つ、境内に気になるお堂がありました。長南年恵霊堂??

中に入るとすごい数のペットボトル!なんとかの天然水など、全部ミネラルウォーター。なぜ?? 暇を持て余した一緒に行った息子が数え上げていました。 200本以上あったそうです。
調べてみるとここ鶴岡の明治の霊能力者、長南年恵さん、何もない所から霊水を生み出して病気を治癒する神通力を持っていて、その神通力は最高裁判所でも認められたのだとか。昔サイババという手から灰を出す超能力者がいましたが、似たものを感じます。祈祷が治療だった時代と西洋医学が広まっていく時代のはざまに生きた人ですね。霊能力は本当にあるのかが公に議論された時代、面白いですね。

山形県 鶴岡市 砂田町 に境内を構える、修行山 南岳寺、即身仏鉄竜海上人、長南年恵縁の寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、寺院の対応はとても親切 丁寧な対応で心が温かくなりました、2023.10月に 出羽百観音、庄内三十三観音霊場 巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 修行山、寺号 院号は 南岳寺、宗旨 宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 大日如来、庄内三十三観音霊場 第二十九番札所。荘内平和観音百八霊場 第十二番札所、札所ご本尊はどちらも 聖観世音菩薩、庄内十三仏霊場 第十番札所 札所ご本尊は 大日如来、南岳寺は度重なる火災により記録が焼失し詳しい寺暦は不詳ですが弘法大師空海により開かれたのが始まりとされます。その後は湯殿山神社の別当寺院だった湯殿山注連寺分寺として湯殿山修験者の修行や祈祷所として利用され寺運も隆盛しました。
嘉永年間(1848~1854)には鉄竜海上人によって本堂が再建、鉄竜海上人は明治14年(1881)に入定し即身仏となりましたが、明治時代初頭には修験道廃止令や墳墓発掘禁止令が発令された為、事実上即身仏になる事が禁止されていた為大正時代に入るまでその事実は秘匿にされました。
昭和31年(1956)の鶴岡大火に類焼し本尊、鉄竜海上人の即身仏、長南年恵堂(現在の淡島堂)以外の堂宇が焼失し衰微しましたが昭和47年(1972)に現在地に境内が移され再建されました。
長南年恵は今で言う超能力者とされ、食事も僅かな水分と食物だけで排泄も殆ど無く、空の瓶に霊水を満たすといった超常現象を起こした人物です。魔術を使うといった風潮により警察にも逮捕されましたが、警察立会いの実験で成功した事や証拠不十分で釈放されたとされ、霊水を得て飲んだ人物は不思議と症状が治ったり軽くなったと伝えられています。又、真言宗 智山派 の 清水山 柳福寺 は庄内藩主酒井家の祈願所として創建され正徳年間(1711~1715年)には 庄内三十三観音霊場の札所に選定されるなど寺運も隆盛しましたが、明治に入ると衰微し明治42年(1909)に 南岳寺に合併、昭和15年(1940)に 南岳寺 観音堂となっています






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