御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

耕田院の日常(404回目)山形県羽前大山駅

「仏の顔も三度まで」

投稿日:2024年03月10日(日) 04時57分23秒
輪橋山徒然話 2-24-3-10. 「仏の顔も三度まで」. 写真は火伏せの龍

◆「仏の顔も三度まで」の意味は、同じ過ちを繰り返し、最後に相手を怒らせるという意味ではない。

◆「仏の顔も三度まで」は、「仏さまさえ諦め、投げ出す」という意味だ。

◆毘瑠璃王(ビルリ王)が主人公。紀元前6世紀頃、古代インド、コーサラ国の王である。王には秘密があった。

◆先代の父、コーサラ国王が釈迦族との婚姻を望んだ時、釈迦族は「なぜ卑しきものと縁を結ばなくてはならないのか」と、大臣が下女との間に生ませた娘を偽って、コーサラ国王に嫁入りさせた。その後、誕生したのが毘瑠璃王である。

◆毘瑠璃王は8歳になった頃、釈迦族に「お前は下女の産んだ子だ」と告げられる。それ以来、毘瑠璃王は釈迦族に深い恨みを懐くようになってしまった。

◆王位についた毘瑠璃王は、ついには釈迦族殲滅を企て進撃する。

◆それを知った釈尊は、一本の枯れ木の下で座って待っている。進軍してきた王は釈尊を見かけると「世尊よ、ほかに青々と茂った木があるのに、なぜ枯れ木の下に座っているか?」と問う。釈尊は「王よ、親族の陰は涼しいものである。」と静かに答えた。これを聞き、王は兵を撤退させる。

◆一旦は国に戻った王であったが、許せない思いが抑えきれず、再び出兵する。二回目も釈尊は、同じ場所で待ち、王は兵を撤退させる。さらに三回目も。

◆四度目の時、釈尊は、「もともとの原因は、釈迦族がつくったものだ。これは因果応報。この宿業を変えることはできない」とつぶやき、もう、進軍を止めることはしなかった。結果、釈迦族は滅びた。三度目でお釈迦さまも諦める。これが仏の顔も三度までの意味だ。
 
◆しかし、過去の恨みの報復をした毘瑠璃王だったが、七日後、嵐に襲われて命を落としてしまう。

◆大なり、小なり誰にでもあるだろう「怒りの感情」。厄介なことに燃やし続けると、その炎はどんどん大きくなる。ついには、毘瑠璃王のように自らをも燃やし尽くしてしまうほどの地獄の業火なのである。

◆「怒りの感情」とは、諌めるもの、邪魔するもの、障害が大きければ益々燃えさかってしまう。お釈迦さまの戒めさえも、火に油なのだ。

◆心が怒りで熱くなった時、それを冷ますのは「ことば」だけでは足りない。自らの心へのアプローチは、自らが体からすけばよい。

◆「怒り」で熱くなっているのは心だけではない。体も熱くなっているはずだ。呼吸が浅くなり、ほおが赤くなり、握りしめたこぶしで手に汗をかき‥。体はいくつものところで「怒り」を表現している。しかし、浅くなった呼吸は深呼吸することで取り戻せるし、かっかとした頭も手も冷たい水で洗えばよい。身体へのアプローチで「怒り」は消えていく。

#輪橋山徒然話
#心は大山
#仏の顔も三度まで
#火伏せの龍
耕田院(山形県)

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
耕田院のお知らせをもっと見る430件
コメント
お問い合わせ