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耕田院の日常(354回目)山形県羽前大山駅

輪橋山徒然話「因小失大」(小に因よりて大を失うしなう)

投稿日:2023年12月20日(水)
輪橋山徒然話「因小失大」(小に因よりて大を失うしなう)

◆「因小失大」「目先の利益に目がくらみ、全てを失う」話だ。

◆盗賊、雲霧仁左衛門はいつもこの手でお宝を手にいれる。そう人間の性と言うべき「欲」に。

◆雲霧の作者(池波正太郎さん)もきっと今日の話をお手本にしただろうと思うぐらい見事な手口なのだ。「牛をすられた農夫」という話だ。

(出典は、高森顕徹先生「光に向かって100の花束」)

「牛をすられた農夫」

人通りの少ない山道を、大きい牛をひいて、わが家へ急いでいる一人の農夫があった。 
牛は彼の最も大切な財産らしく、ふり返りふり返り、いたわりながら、日暮れの道を急いでいる。

やがて、農夫の後ろに二人のあやしげな男が現れ、
一人が仲間にささやいた。
「おい、あの牛を、すり取ってみせようか」
「おまえがなんぼスリの名人でも、あんな大きな牛じゃねー」
相棒は首をかしげた。
「よし、それではやってみせるぞ。おれの腕前をみていろ」
二人はスリが本職だった。

牛をすってみせると言った男は早足で、グングン歩きはじめ、
牛を追い越し、曲がり角の小さな地蔵堂の所で姿を消す。

農夫は薄暗い地蔵堂の角に、なにか落ちているのをみつけた。
拾ってみると、サラの皮靴の片方ではないか。
「せっかくの、すごい拾い物だが、片方じゃ使い物にならんわい」 
ぶつぶつ悔やみ言をいいながら、靴を投げすて、
しばらくゆくと、またなにかが落ちている。

拾ってみると、先ほど捨ててきた相手の靴である。
先のと合わせると、新品の靴一足になる。

農夫は、しめたと思った。
「だれも通らぬ山道だ。まだあるにちがいない」

牛を道ばたの木にくくりつけ、飛ぶように引き返すと、案の定、靴はあった。

「今日は、なんと運のよい日だろう。こんな立派な靴が、ただで手に入るとは……」

得意満面、喜び勇んで帰ってみると、農夫の最も大事な牛の、影も形もみあたらなかった。

◆見事だ。

◆この話の教訓は、「目先の欲に心を奪われると、本当に大切なものを見失ってしまう」ということだ。農夫は一見幸運な拾い物に気を取られてしまい、その小さな得を追い求めた結果、自分にとって最も価値のある財産である牛を盗まれ、全てを失う。

◆この寓話は短期的な利益や小さな誘惑に惑わされることなく、自分にとって本当に重要なものに忘れず、見識を持って行動するべきだと教えている。そして、欲張りすぎると、結局は何も手に入らないという皮肉な結果も示唆している。

◆最後にもう一度読んで欲しいのが昨日の渡辺和子さんのことばだ。

人間一人ひとりがもう少し「誇り高く」生きることが大切ではないでしょうか。

大きな花、豪華な姿で咲き誇る花を羨み、自らを卑下することなく、
「小さきは小さく咲かん」という健気さとプライドを持って生きること。

それはまた、他人にもその人なりの、その人にしか咲かせることのできない花を
咲かせようとする姿でもあります。

- 渡辺和子 -シスター、ノートルダム清心学園の理事長 / 1927~2016

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耕田院(山形県)

すてき

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