耕田院の日常(349回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年11月23日(木)
今朝の輪橋山徒然話は「直向き(ひたむき)」と「只管(ひたすら)」。
モンテ・クリスト伯は「ひたむき」にお金をため、剣の腕を磨いた。
◆さて、この文章は正しいだろうか。
◆正しくはない。
◆実は「ひたむきだ」という形容動詞には、使い方に三つの条件があるからだ。
一つ目は「良いことにしか使わない」
二つ目は「向上心を持って謙虚に励むものしか使わない」
三つ目は 「一つのことに集中して精進している場合にしか使わない」
条件に当てはめると、「お金をためる」は向上心とは言えない。また、「お金と剣の腕」と二つのことに精進するのも条件にあてはまらない。
◆そして「ひたむき」は「直向き」と書くのだ。そうか、「真っ直ぐに努力」なるほどだ。
◆それではどう書き改めればよいのだろう。
モンテ・クリスト伯は「ひたすら」にお金をため、剣の腕を磨いた。
となりそうだ。
◆この「ひたすら」は、ある一つのことに集中して、そればかりをするとの意味だ。ある行為が繰り返される状態を表わす。たとえば「ひたすら謝る」というのは、「謝る」という行為を何度も繰り返し続けることによって許しを請うのである。勿論「ひたすら勉学に励む」のような使い方もする。
◆さて漢字では「只管」「一向」と書く。
◆勿論「只管」も「一向」も仏教に関係することばだ。
◆一向宗とは、一向(ひたすら)に阿弥陀仏を念ずる宗派の意であるし、道元禅師はただ「ひたすら」に座禅することを「只管打坐」と教えた。「打坐」とは坐るということだ。
◆さて、「ひたむき」に坐るとはいわない。それは、「ひたむき」は外からの見え方で「ひたすら・只管」はそのあり方を指す言葉だからだと思う。日本語は難しい。
モンテ・クリスト伯は「ひたむき」にお金をため、剣の腕を磨いた。
◆さて、この文章は正しいだろうか。
◆正しくはない。
◆実は「ひたむきだ」という形容動詞には、使い方に三つの条件があるからだ。
一つ目は「良いことにしか使わない」
二つ目は「向上心を持って謙虚に励むものしか使わない」
三つ目は 「一つのことに集中して精進している場合にしか使わない」
条件に当てはめると、「お金をためる」は向上心とは言えない。また、「お金と剣の腕」と二つのことに精進するのも条件にあてはまらない。
◆そして「ひたむき」は「直向き」と書くのだ。そうか、「真っ直ぐに努力」なるほどだ。
◆それではどう書き改めればよいのだろう。
モンテ・クリスト伯は「ひたすら」にお金をため、剣の腕を磨いた。
となりそうだ。
◆この「ひたすら」は、ある一つのことに集中して、そればかりをするとの意味だ。ある行為が繰り返される状態を表わす。たとえば「ひたすら謝る」というのは、「謝る」という行為を何度も繰り返し続けることによって許しを請うのである。勿論「ひたすら勉学に励む」のような使い方もする。
◆さて漢字では「只管」「一向」と書く。
◆勿論「只管」も「一向」も仏教に関係することばだ。
◆一向宗とは、一向(ひたすら)に阿弥陀仏を念ずる宗派の意であるし、道元禅師はただ「ひたすら」に座禅することを「只管打坐」と教えた。「打坐」とは坐るということだ。
◆さて、「ひたむき」に坐るとはいわない。それは、「ひたむき」は外からの見え方で「ひたすら・只管」はそのあり方を指す言葉だからだと思う。日本語は難しい。
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