耕田院の日常(347回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年09月02日(土)
輪橋山徒然話女子高校生のうわさ話が銀行をもつぶす?
◆1973年12月に起こったその事件は「豊川信用金庫事件」という。昭和48年のことである。私が中学にはいった頃だ。
◆その頃、家の2階の本棚の脇に、週刊朝日が積んであった。高校生の頃までは、よく寝転がって眺めていた。だからだろうか、今でもそのころのことが、週刊朝日の表紙とともに記憶に残っている気がする。1973年に何があったのだろう。
◆そんな理由で今でも記憶を辿るときには、週刊朝日HPの表紙ギャラリーを覗いたりする。
◆1973年の8月7日の表紙は「江川卓投手の怪腕の秘密」であり、11月は「総理の娘-パパの-田中真紀子さん」。翌三月には、「小野田少尉の30年」。夏の記事は「怪女オノヨーコとスバリ問答」とあった。
◆時代は日本列島改造論、高度経済成長と飛ぶトリを落とす勢いだった。
◆そんな時に起こったのは、石油ショックだ。
◆1973年10月中旬、中曽根通産大臣がテレビ番組内で「紙の節約」を呼びかけた。すると、「紙が無くなるらしい」という噂が全国に広まり、11月、大阪市のスーパーで発生したトイレットペーパー買い占め騒ぎをきっかけに日本中の小売店の店頭から洗剤、砂糖、塩、しょう油までもが消えることになった。コロナ禍でのマスク不足と同じだ。しかし、このトイレットペーパー買い占め騒ぎは政府の広報がスタートだった。
◆この年の12月の「豊川信用金庫事件」の発端はなんと女子高校生の会話だった。次のような概要だ。
『ウィキペディア(Wikipedia)』(参考)
◆登校中の国鉄飯田線の列車内で、高校生BとCが、豊川信用金庫に就職が決まった友人の女子高校生Aに対し「信用金庫は危ないよ」とからかう。
◆Aはそれを真に受ける。その夜、Aは親戚Dに「信用金庫は危ないのか?」と尋ねた。Aは具体的な信用金庫の名称は言わなかったものの、Dは豊川信金のことだと自分で判断して同信金本店の近くに住む親戚Eに「豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせた。
◆どんどん噂は広がる。
◆6日目には、アマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広め、この後、同信金窓口に殺到した預金者59人により約5000万円が引き出される。この頃の大卒公務員の初任給は2万3千円ほど。
◆同信金小坂井支店に客を運んだタクシー運転手の証言によると、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、14時30分の客は「危ない」、16時30分頃の客は「潰れる」、夜の客は「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていた。
◆その後「職員の使い込みが原因」「理事長は自殺した」など二次デマも発生した。「銀行が危ない」という根拠のないうわさが、銀行を潰すという「自己成就予言」が成立してしまった。
◆結局日銀が介入して事態は収束した。この時の手法もすざまじい。なんと、日銀から輸送された高さ1メートル、幅5メートルの札束をわざわざ預金者たちの見えるように山積みにしてアピールしたという。
◆50年前のことは笑えない。ちまたにあふれる「フェイクニュース」もそうだし、「自己成就予言」を成立させようとしているビジネスも多い。例えばファッションにおける「今年の流行色」はインターカラー委員会なる組織が「事前に」決定するそうだ。「えっ!!」
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◯瀬戸内寂聴さんは見抜く。
人間は、息を吐くたびに嘘を吐いて暮らしている存在なのかもしれません。
◯疑心暗鬼の中に生きるのが人間。この疑心暗鬼が二つの国の間に起こったらそれは戦争にまで発展する。
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