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耕田院の日常(341回目)山形県羽前大山駅

迷える仏と低い声

投稿日:2023年08月20日(日)
 輪橋山徒然話

◆些細なことでさえ、「まあ、いいや」と受け流したり、胸にしまっておいたりという態度は選ばないのが令和に生きる現代人の特性。損得を冷静に考え、それに基づいて行動するのが当たり前になってしまった。だからなのか「黙っている」あるいは「我慢する」よりも、「言った者勝ち」の風潮だ。

◆余計なクレームが来ないように言葉を選ぶ。しかし、「運悪く」不合理な「苦情」や「文句」を浴びせられることも珍しくない。

◆そういった状況に遭遇したときは、(以前述べた通り)、相手を「仏の心を持つ迷える仏」と見、自分自身をも「迷える仏」と捉えてみるとよい。

◆とはいえ、カタツムリのごとく常に殻に閉じこもっていては、物事が前進することはないだろう。以下、対処法を示す。

まず、「カッとなったら終わり」である。まぁるい心を心がけるのだ。

◆まず「迷える仏(本来は仏の心を持っているのだが)」が攻撃を仕掛けてきたら、鼻からの「細く長くの呼吸」をする。相手を言い負かそうなどとは思わない。そんな上から目線は、ただただ叩かれる口実を作るだけだ。とりあえず「仏さまと共にいたいという心持ち」を忘れてはならない。

◆「共にいたいという心持ち」が難しい場合に、試してみてほしいのは、「端的に、低い声で語ること」だ。低い声はお腹に力を入れてだす。

◆この時、もしも自分の声が相手よりも高く、または大声であったり、早口になっていたら要注意である。その場合、あなた自身も「迷える仏」に陥っており、同じレベルに迷い込んでいるということだからだ。

◆うまく相手が落ち着いたら、自分もそっと一息つく。そして、感情に流されず「迷える仏」にならなかった自分を褒めるのだ。もし可能なら、次に相手とゆっくりと時間をかけて、「今、こだわっている固執な考え」や「偏見」を共に見つけられれば理想的である。

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◯「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」と。(大パリニッバーナ経=大般涅槃経)

寂聴さんはいう。「お釈迦さまがこうおっしゃったのだから、この世は美しく、人の命は甘美なのだと私は信じます」

そして寂聴さんは「私たちは、もっともっと楽観的に生きていい」と背中を押すのです。

いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
耕田院(山形県)

すてき

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