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耕田院の日常(340回目)山形県羽前大山駅

ドフトエフスキーに学ぶ

投稿日:2023年08月10日(木)
「いかなること」の罪と罰。輪橋山徒然話 2023/7/17

◆今から180年ほど前のことになる。漱石も鴎外もまだ生まれていない頃。

◆新進作家として売り出していた28歳の彼は、ある政治サークルに入っていた罪で捕縛される。このサークルは「帝政を打倒」という過激な思想も匂わせる団体だった。

◆彼を含む会のメンバー34人は、裁判で死刑判決を言い渡され、12月22日、死刑執行のため練兵場に連れ出される。

◆兵たちが銃を構えたその瞬間、刑は突然取りやめになる。なんと、「特赦令」を携えた皇帝の使者が現れたのだ。

◆「特赦が下った。シベリア流刑に減刑する」と。

◆皇帝の力を示すための「悪趣味なお芝居」だったのだ。

◆この経験は彼を大きく変える。

◆佐藤優氏によれば、処刑による死をも恐れなかった彼が、「自分はこのあとも生き続けなければいけないんだ」とわかった瞬間から、国家をひどく恐れるようになったという。国家は人の命を奪うだけではなく、人に命を与えることもできる、つまり神に次ぐような力を持っていることを皮膚感覚で知ってしまったというのだ。

◆この体験はまさしく、彼にとって「死の体験」だった。

彼はこの時のことを「どんなに私は生きたいと思ったか!」「どんなに命が尊く思ったか!!」
と回想している。

懲役4年刑期終了後は兵卒勤務の判決。

一同は極寒のシベリアに送られた。

その4年の暮らしとは、頭髪を剃られ、足枷をはめられ、他の囚人30名と一部屋での共同生活だ。

◆釈放後41歳で書いた小説が「死の家の記録」だ。

この小説の中で、主人公が嫌悪するのは「悪質な環境」「屈辱を背負った囚人たち」だ。しかし、彼は気が付く。「それでも人間は生きられる」と。どんな場所においても、「負の極限状況」でも人間は生きる自由を失おうとしないのだ。「人間はいかなることにも馴れる動物である」と。

◆さて、彼の名は、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーだ。「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」の作家である。

◆その後の彼の生き方を、自らも佐藤宗男問題で勾留された佐藤優さんは、「保守派の作家として活動を始めます。検閲と監視を恐れた彼が文章を書いて生きていくためには、社会革命への情熱や無神論は自分の中に封じ込め、別の顔をしなくてはならなかったのでしょう」と。それは「いかなること」の中で作家活動を続けるための選択だ。そして、ポリフォニーと呼ばれる作風となる。

◆台湾有事のシナリオとまたまた秋田の水害。「いかなること」などあってはならないと思う令和5年7月16日だった。いったい世界はどこに向かうのだろう。

★☆★☆★☆★☆★☆

◯瀬戸内寂聴さんはいう。

人間なんて、ほんとに弱い者だということを自覚しておいたほうがいいし、だからといって、自分の弱さに甘えないことです。

◯ドストエフスキーとも重なる作家の矜持だ。さて、此夏は「カラマーゾフの兄弟」に再挑戦しよう。「□△○」の角の一つを消し去り、まぁるい心の仏となる術を探して…。

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