耕田院の日常(339回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年08月08日(火)
◆人は二度死ぬという。一度は身体が滅んだ時。もう一度は、大切な人たちから忘れ去られてしまった時だ。
◆私は子どもの頃、朝、仏飯をお供えするのが、私の仕事だった。
◆ある時、父に「なぜ、仏さまにお供えをするのか」と聞いたことがある。
◆父は、「お供えをしなかったら、仏さまが生きていられなくなるじゃないか」と言った。
◆仏さまは、お供えもなく、お経もなく、拝む人もなく、忘れ去られてしまえば、仏さまとして死んでしまうというのだ。
◆父は、幼い私たちに、姿かたちは見えないが、私たちを見守ってくださる「仏さま・お陰さま」が、そこに在るということ。その命をつなぐのが「仏飯」というお供えだということ。だから、私に仏飯をお供えすることを怠ってはならないというのだ。
「仏さまは生きている・お陰さまとしてそこにある」と教えたのだ。
◆家族がなくなり「仏さま」となる。死んでもなお、残される人の幸せを祈り、護りたいと思う「仏さま」になる。だから残され家族は、「仏さま」「ご先祖さま」への「感謝」の心を忘れてはいけない。こちら側とあっち側、二つの世界をつなぐのが「お供え」なのだ。
◆「お供え」は、「仏飯」でなければならないということはない。立派な供花や形式も飾りでもなくともよい。ただ「心が届くようにすればよい」のだ。「親しき人」が死者として忘れ去られることなく、私どもとつながり、「仏さま・お陰さま」として生きていただくためのものなのだから。それだから、供養という言葉は、「供えて養う」と書くのだ。
◆昨今は住宅事情も変わり、田舎でも新築する時には仏間をつくらない家が多い。核家族化が進んだという事情もあろう。至極当然である。ご先祖や亡き人の仏壇も小さくなっている。それはそれでよいと思う。仏壇も仏像もお位牌もあったほうかよいとは思うが、無くてもかまわない。しかし、供養の「こころ」だけは無くしてはいけない。そうならない方法を考えていただきたい。
◆いいお写真に、朝、お水やお線香をお供えして、「いってきます」と手をあわせるのもよいと思う。一日一度は「仏さま・お陰さま」に手を合わせる時間を是非。特に子どもさんにも大変よいことだと思う。
★☆★☆★☆★☆★☆
◯瀬戸内寂聴さんはいう。
お正月には神社仏閣に初詣に行きますが、皆さん一人一人の中にも必ず仏様がいらっしゃいます。相手の仏様を拝む気持ちになって人とお付き合いすると、周りが和やかになりますよ。
◯人は誰でも心の中に仏さまをもっている。そのことをもう一度噛み締め、まわりも、ご自分も大事する一日に。「□△○」の角の一つを消し去り、まるい心の仏となるように。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆私は子どもの頃、朝、仏飯をお供えするのが、私の仕事だった。
◆ある時、父に「なぜ、仏さまにお供えをするのか」と聞いたことがある。
◆父は、「お供えをしなかったら、仏さまが生きていられなくなるじゃないか」と言った。
◆仏さまは、お供えもなく、お経もなく、拝む人もなく、忘れ去られてしまえば、仏さまとして死んでしまうというのだ。
◆父は、幼い私たちに、姿かたちは見えないが、私たちを見守ってくださる「仏さま・お陰さま」が、そこに在るということ。その命をつなぐのが「仏飯」というお供えだということ。だから、私に仏飯をお供えすることを怠ってはならないというのだ。
「仏さまは生きている・お陰さまとしてそこにある」と教えたのだ。
◆家族がなくなり「仏さま」となる。死んでもなお、残される人の幸せを祈り、護りたいと思う「仏さま」になる。だから残され家族は、「仏さま」「ご先祖さま」への「感謝」の心を忘れてはいけない。こちら側とあっち側、二つの世界をつなぐのが「お供え」なのだ。
◆「お供え」は、「仏飯」でなければならないということはない。立派な供花や形式も飾りでもなくともよい。ただ「心が届くようにすればよい」のだ。「親しき人」が死者として忘れ去られることなく、私どもとつながり、「仏さま・お陰さま」として生きていただくためのものなのだから。それだから、供養という言葉は、「供えて養う」と書くのだ。
◆昨今は住宅事情も変わり、田舎でも新築する時には仏間をつくらない家が多い。核家族化が進んだという事情もあろう。至極当然である。ご先祖や亡き人の仏壇も小さくなっている。それはそれでよいと思う。仏壇も仏像もお位牌もあったほうかよいとは思うが、無くてもかまわない。しかし、供養の「こころ」だけは無くしてはいけない。そうならない方法を考えていただきたい。
◆いいお写真に、朝、お水やお線香をお供えして、「いってきます」と手をあわせるのもよいと思う。一日一度は「仏さま・お陰さま」に手を合わせる時間を是非。特に子どもさんにも大変よいことだと思う。
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◯瀬戸内寂聴さんはいう。
お正月には神社仏閣に初詣に行きますが、皆さん一人一人の中にも必ず仏様がいらっしゃいます。相手の仏様を拝む気持ちになって人とお付き合いすると、周りが和やかになりますよ。
◯人は誰でも心の中に仏さまをもっている。そのことをもう一度噛み締め、まわりも、ご自分も大事する一日に。「□△○」の角の一つを消し去り、まるい心の仏となるように。
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すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。