耕田院の日常(325回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年07月19日(水)
◆「高森顕徹著 光に向かって 100の花束より」に次のような話がある。
“世界一おいしい、料理が食べたい”
昔、ある王様がこう言って、国中の料理人を召集した。
王宮で常に、食の贅を極めているので、どの料理も、おいしいとは思えない。
「へたなやつばかりだ。もっと上手な料理人を探しだせ」
側近が困惑していると、
「私が世界一の料理人でございます」と、申しでた者がいた。
「余の満足する料理が作れるか」
「おそれながら、それには、私の言うことをお守りいただかねばなりませぬ」
「おもしろいことを言うやつじゃ。守ってやるから作ってみよ」
王様も、意地になって承諾する。
それから3日間、昼夜、王様のそばを離れず、ジッとしているだけだった。
「いつ、料理を作るのじゃ」
「はい。そのうちに、必ずお作りいたします」
3日目にもなると、空腹でヘトヘトの王様に、粗末な野菜料理が運ばれた。
「さあ。お約束どおり、世界一おいしいご馳走ができあがりました。十分にお召し上がりくださいませ」
むさぼるように、それをたいらげてから、王様は言った。
「こんなおいしいものを食べたことがない。なにを、どんなに料理したのか」
料理人はそのとき、こう答えたという。
「料理の上手は飢えにあります。空腹で召し上がるものが、一番の、ご馳走でございます」
“おいしい”と感ずるのは、飢えという苦しみの軽減されてゆく過程である。飢えの苦のないところに、おいしいという楽しみは、ありえないのだ。
人生もまた同じ。苦しみから逃げまわって生きようとする者は、絶対に楽しみを味わうことができない。意気地なしや卑怯者と、真の幸福は、無縁のものなのだ。
楽の元は苦、といわれるではないか。
◆高森顕徹先生は「楽の元は苦」とまとめている。実はこの「楽の元は苦」は、水戸黄門さま、徳川光圀の言葉だったのだ。
◆歴史上の水戸黄門さまは、呑気な旅などせず儒学を奨励し、水戸藩の事業として神武天皇から後小松天皇までの百代の帝王の治世を扱う"大日本史"の編纂を行った。その中で、「楽は苦を生み出す種であり、今の苦労は、将来の楽を生み出す種であるので耐え忍ばなければならない」としている。これが「楽の元は苦」の由来なのだ。だからこれを教える有名な主題歌があるのだ。
人生楽ありゃ 苦もあるさ
涙のあとには 虹も出る
歩いてゆくんだ しっかりと
自分の道を 踏みしめ
◆悪代官がいてご政道が正され、苦があって楽があり、煩悩があるから悟りがあるのだ。
★今朝も角を一つひとつ無くして「□→△→○」
◯瀬戸内寂聴さんは説く「苦労」。
苦しんでこそ人は優しくなれる
◯苦しみが優しさを生む。辛いこと悲しいことを知るものが「優しさ」を知るのだ。
◯さて、「□△○」と角を一つひとつ無くして今日は一日「凛」とありたい。
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