耕田院の日常(324回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年07月18日(火)
「自尊心」について考えた 輪橋山徒然話2023/6/30
◆毎年4月の全国学力テストで子どもの「自尊感情」や「自己肯定感」を調査する。子どもが自分に自信があるかなどの問いなのだが、この結果は、学級経営や教師の教育力を問うようにも聞こえたりするやっかいな問いなのだ。たとえば「いじめ」にあっている児童の自尊感情は低くなる。だから、自己肯定感が低い子どもがいると申し訳ない気持ちになる。
◆特に、成績がよく、明るくいい子どもなのに「自己肯定感」が高くならない子どもがいる。その逆のパターンもある。教師とうまくいかず荒れている子どもが「えっ」と思うくらい自尊心が高かったりする。自尊感情・自己肯定感と目の前の子どもが一致しないのだ。
◆この自尊感情が重視されるようになったのは、社会の中で、自尊心が低いと経済的に大変で、不健康。自尊心が高いとその逆であるという結果がわかったからだという。つまり、「高い自尊心は多くの問題を解決する、自尊心は高けば高いほど良い」という考え方なのだ。
◆そこで生まれたのが「子どもたちの自尊心を第一・ファースト」と考える風潮だ。一言でいうと「ほめて育てる」ということだ。そこについてはまあ異論はないのだが、同時に「競争」「批判」「指導」などNGなことも過剰なほど指摘された。
◆運動会の100m競争がなくなった。なぜなら順位がつくからだ。そのうち運動会がなくなり、勝ち負けをではないレク大会になったりした。
◆マラソン大会では、事前にタイムを測りそのタイムとの競争とする。自分との競争であればよいだろうと。今はエクセルがあるから計算はそう大変でもないが、そのころは結構な仕事だ。
◆評価についてもそうだ。自尊心を傷つける表現は当然しないし、赤も入れない。家庭への所見欄への記載は、文章表現には極力注意する。あるいは最初から既成のソフトから文章をコピーする。結果ほめているようでほめていない。つまり、その子を評価しているようで、本気で評価しない。
◆そもそも「自尊心」とは何か。この自尊心なるものは一般的には次のような質問で計測する。
あなたは価値のある人間ですか?
学校や職場でうまくやっていますか?
みんなから好かれていますか?
◆しかし、これはあくまで主観的な評価である。客観的ではないのだ。
◆そこで「自分は優秀だ」と思っている自尊心の高い子どもを追跡調査した。すると「学業成績は自尊心の高さでほぼ説明できる」から「自尊心の低かった子どものほうの成績が良い」まで大きくバラついたのだ。
◆つまり自尊心は原因ではなく結果だという当たり前のことが証明された。自尊心が高いと学業成績が良くなるのではなく、テストで良い点数を取ることで自尊心が高まるのだ。自尊心は「作り上げるもの」で「磨きあげるもの」なのだ。
※ 参考 バカと無知 橘玲 新潮新書
◆特に、成績がよく、明るくいい子どもなのに「自己肯定感」が高くならない子どもがいるは、自分がこのぐらいできるのだから、みんなもできるだろうと考えたり、自己評価が厳しかったりするのが原因なのだ。一段階上の自尊感情の高さなのだ。
◆ジェンダー対応で運動会の100M走を男女混合名簿の通りに実施したというのだ。つまり、100M男子・女子と分けずに一緒に実施となる。時々このような理解し難いことが教育現場で行われる学校の自尊感情のほうが心配だ。
★今朝も角を一つひとつ無くして「□→△→○」
◯瀬戸内寂聴さんは説く「反骨心」。
「傷めつけられ、反発するエネルギーが、思いがけない仕事を生む原動力になったりもする」
ここから生まれるのが傷つかないダイヤのような自尊心で揺るぎない自己肯定感だ。
さて、今日も一日「□△○」と角を一つひとつ無くして「梅雨に負けない爽やかな」一日を。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆毎年4月の全国学力テストで子どもの「自尊感情」や「自己肯定感」を調査する。子どもが自分に自信があるかなどの問いなのだが、この結果は、学級経営や教師の教育力を問うようにも聞こえたりするやっかいな問いなのだ。たとえば「いじめ」にあっている児童の自尊感情は低くなる。だから、自己肯定感が低い子どもがいると申し訳ない気持ちになる。
◆特に、成績がよく、明るくいい子どもなのに「自己肯定感」が高くならない子どもがいる。その逆のパターンもある。教師とうまくいかず荒れている子どもが「えっ」と思うくらい自尊心が高かったりする。自尊感情・自己肯定感と目の前の子どもが一致しないのだ。
◆この自尊感情が重視されるようになったのは、社会の中で、自尊心が低いと経済的に大変で、不健康。自尊心が高いとその逆であるという結果がわかったからだという。つまり、「高い自尊心は多くの問題を解決する、自尊心は高けば高いほど良い」という考え方なのだ。
◆そこで生まれたのが「子どもたちの自尊心を第一・ファースト」と考える風潮だ。一言でいうと「ほめて育てる」ということだ。そこについてはまあ異論はないのだが、同時に「競争」「批判」「指導」などNGなことも過剰なほど指摘された。
◆運動会の100m競争がなくなった。なぜなら順位がつくからだ。そのうち運動会がなくなり、勝ち負けをではないレク大会になったりした。
◆マラソン大会では、事前にタイムを測りそのタイムとの競争とする。自分との競争であればよいだろうと。今はエクセルがあるから計算はそう大変でもないが、そのころは結構な仕事だ。
◆評価についてもそうだ。自尊心を傷つける表現は当然しないし、赤も入れない。家庭への所見欄への記載は、文章表現には極力注意する。あるいは最初から既成のソフトから文章をコピーする。結果ほめているようでほめていない。つまり、その子を評価しているようで、本気で評価しない。
◆そもそも「自尊心」とは何か。この自尊心なるものは一般的には次のような質問で計測する。
あなたは価値のある人間ですか?
学校や職場でうまくやっていますか?
みんなから好かれていますか?
◆しかし、これはあくまで主観的な評価である。客観的ではないのだ。
◆そこで「自分は優秀だ」と思っている自尊心の高い子どもを追跡調査した。すると「学業成績は自尊心の高さでほぼ説明できる」から「自尊心の低かった子どものほうの成績が良い」まで大きくバラついたのだ。
◆つまり自尊心は原因ではなく結果だという当たり前のことが証明された。自尊心が高いと学業成績が良くなるのではなく、テストで良い点数を取ることで自尊心が高まるのだ。自尊心は「作り上げるもの」で「磨きあげるもの」なのだ。
※ 参考 バカと無知 橘玲 新潮新書
◆特に、成績がよく、明るくいい子どもなのに「自己肯定感」が高くならない子どもがいるは、自分がこのぐらいできるのだから、みんなもできるだろうと考えたり、自己評価が厳しかったりするのが原因なのだ。一段階上の自尊感情の高さなのだ。
◆ジェンダー対応で運動会の100M走を男女混合名簿の通りに実施したというのだ。つまり、100M男子・女子と分けずに一緒に実施となる。時々このような理解し難いことが教育現場で行われる学校の自尊感情のほうが心配だ。
★今朝も角を一つひとつ無くして「□→△→○」
◯瀬戸内寂聴さんは説く「反骨心」。
「傷めつけられ、反発するエネルギーが、思いがけない仕事を生む原動力になったりもする」
ここから生まれるのが傷つかないダイヤのような自尊心で揺るぎない自己肯定感だ。
さて、今日も一日「□△○」と角を一つひとつ無くして「梅雨に負けない爽やかな」一日を。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。