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耕田院の日常(323回目)山形県羽前大山駅

雨ふると 先生急におこりだす  小3年女児

投稿日:2023年07月17日(月)
 「雨降ると」 輪橋山徒然話

◆昔の小学校は、今よりたくさんの行事を抱えていた。なにせ土曜日があったからだ。
今頃の季節は「七夕音楽祭」だ。保護者も地域の人も皆招待してのイベントだ。七夕の竹も切りに行かなければならないし、研究授業もある。もちろん成績処理と通知表の作成。これに2泊3日海浜学校もあったものだ。今の学校は別の苦労が多いのだろうが、それでも、5日制と働き方改革で仕事量は1/3から2/3くらいは減ったように思う。

雨ふると 先生急におこりだす  小3年女児

◆「やられたー」と思った。

◆急に雨が降ったりすると、準備・予定・計画が狂う。そういった新米教師の「不機嫌さ」を切り取られてしまったからだ。

◆この頃は最高に忙しかった。それでも、今よりもずっと先生が持ち上げられ、大切にされ、期待されていていた。 

◆ところが、ある日のことだ。研修会で「これからの教師は聖職などではない。サービス業だ」と県教育委員会の訓示があった。はっきり覚えている。

◆振り返ればこの辺りから、学校への信頼は薄れ、地盤沈下がはじまったように思う。

◆様々お考えはあるだろうが、私は、今でも、教師=聖職である「べき」だと思う。それは、聖職とは、仕事内容を指すのではなく「志」「使命感」の有無と考えるからだ。教職には、「志」「使命感」は不要ともとれる「教師のサービス業」への転換はやはりおおきな変化をもたらしたと思う。

◆現在ではより社会のリベラル化が進み、子どもと教師が対等あるいは、子どもファーストになり、教育は完全にサービス業の枠組みとなった。それとともに学級崩壊や校内暴力は当然のこと、さほど驚かなくなったことに驚く。

◆「このようなフラットな人間関係の中で「教育」は可能なのだろうか」という率直な疑問だけが残る。

★今朝も角を一つひとつ無くして「□→△→○」

◯「さよならだけが人生だ」と井伏鱒二さんはいった。その意味するところを、瀬戸内寂聴さんは説く「逢った人を大切に」だ。

どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れるということです。別れるために逢うんです。

さて、今日も一日「□△○」と角を一つひとつ無くして「穏やかな」一日を。

いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ

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耕田院(山形県)

すてき

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