耕田院の日常(299回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年06月22日(木)
「自分の荷は自分で背負い 歩きぬく」と「逆縁」について考えた。2023/6/6 輪橋山徒然話
苦しみも
悲しみも
自分の荷は
自分で背負って
歩きぬかせてもらう
わたしの人生だから
◆この詩の作者は東井義雄さんだ。東井義雄さんは、私たちのずっと先輩で、戦後の生活綴り方の実践で著名な教育者だ。そして、浄土真宗のお寺の住職でもあった。
◆東井義雄さんは、「46歳の長男」のことを最近知った。
◆ご長男もまた、小学校の教員だったそうだ。
◆それは体育の時間子どもたちと一緒に運動場を走っている時のこと。走っている途中で倒れ、一命は取り留めたものの意識は戻らないまま、…。
◆著書の中で、東井義雄さんは語っている。
人工呼吸器を施して156日が過ぎました。
その時に、倒れられた当日のことを振り返ると、それは「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言葉和交わしてからわずか一時間半くらい後の出来事で、「一寸先は闇」ということばを思い出し、気がついてみれば「諸行無常」は仏さまの切実な教えだったが、それを上の空で聞き流し、形ばかりの見送りをしていた私を知らされた。
また、息子と一緒に走っていた子どもたちが、息子は倒れる前「胸に手を当てて走っていた」と教えてくれた。心臓がきっと何らかの異常信号を発してくれて、仏さまもきっと「休息しろ」と、必死の思いで警告してくださったのだろうと思う。
でも息子は、「これくらいのことは・・」と、「信号無視」をしてしまったのでしょう。
著書「おかげさまのどまんなか」
◆事故以来、ご長男は心臓こそは動いているが、二度と目を覚さない人になってしまった。
◆それでも周囲から見ると、東井義雄さんの様子は、事故後もかわらなかったという。しかし、亡くなった後に見つかった日記には、悲しみに耐える詩が残っていた。その一つだ。
とうとう 義臣が まる一年
いのちをいただいてくれた
たくさんの皆さんの 念力にささえられて
いのちをいただいてくれた 南無阿弥陀仏 (遺されていた日記より)
◆「大無量寿経」に「身自当之 無有代者」(身みずからこれに当たる代わる者あることなし)とある。
◆もし代われるものなら代わってやりたいと心から思っても、どうしようもない。それは一人一人に与えられた苦しみなのだ。自分がその苦しみを引き受けていくしかないということだ。
◆誰も代わってくれないし、誰にも代わってもらうことのできない一人ひとりの人生。東井義雄さんもこの苦しみ・悲しみを引き受けて歩き抜いた。
◆最期のことばは「一度きりの 尊い道を 今歩いている」だ。
◆瀬戸内寂聴さんは逆縁について次のように説かれた。
自分より若い者、幼い者に先だたれることを逆縁といって、死別の最もつらいものに数えている。
◆寂聴さんも、99年の生涯では、本当にいくつもの逆縁に耐えたのだろう。長く生きるとはそういうことなのだ。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
苦しみも
悲しみも
自分の荷は
自分で背負って
歩きぬかせてもらう
わたしの人生だから
◆この詩の作者は東井義雄さんだ。東井義雄さんは、私たちのずっと先輩で、戦後の生活綴り方の実践で著名な教育者だ。そして、浄土真宗のお寺の住職でもあった。
◆東井義雄さんは、「46歳の長男」のことを最近知った。
◆ご長男もまた、小学校の教員だったそうだ。
◆それは体育の時間子どもたちと一緒に運動場を走っている時のこと。走っている途中で倒れ、一命は取り留めたものの意識は戻らないまま、…。
◆著書の中で、東井義雄さんは語っている。
人工呼吸器を施して156日が過ぎました。
その時に、倒れられた当日のことを振り返ると、それは「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言葉和交わしてからわずか一時間半くらい後の出来事で、「一寸先は闇」ということばを思い出し、気がついてみれば「諸行無常」は仏さまの切実な教えだったが、それを上の空で聞き流し、形ばかりの見送りをしていた私を知らされた。
また、息子と一緒に走っていた子どもたちが、息子は倒れる前「胸に手を当てて走っていた」と教えてくれた。心臓がきっと何らかの異常信号を発してくれて、仏さまもきっと「休息しろ」と、必死の思いで警告してくださったのだろうと思う。
でも息子は、「これくらいのことは・・」と、「信号無視」をしてしまったのでしょう。
著書「おかげさまのどまんなか」
◆事故以来、ご長男は心臓こそは動いているが、二度と目を覚さない人になってしまった。
◆それでも周囲から見ると、東井義雄さんの様子は、事故後もかわらなかったという。しかし、亡くなった後に見つかった日記には、悲しみに耐える詩が残っていた。その一つだ。
とうとう 義臣が まる一年
いのちをいただいてくれた
たくさんの皆さんの 念力にささえられて
いのちをいただいてくれた 南無阿弥陀仏 (遺されていた日記より)
◆「大無量寿経」に「身自当之 無有代者」(身みずからこれに当たる代わる者あることなし)とある。
◆もし代われるものなら代わってやりたいと心から思っても、どうしようもない。それは一人一人に与えられた苦しみなのだ。自分がその苦しみを引き受けていくしかないということだ。
◆誰も代わってくれないし、誰にも代わってもらうことのできない一人ひとりの人生。東井義雄さんもこの苦しみ・悲しみを引き受けて歩き抜いた。
◆最期のことばは「一度きりの 尊い道を 今歩いている」だ。
◆瀬戸内寂聴さんは逆縁について次のように説かれた。
自分より若い者、幼い者に先だたれることを逆縁といって、死別の最もつらいものに数えている。
◆寂聴さんも、99年の生涯では、本当にいくつもの逆縁に耐えたのだろう。長く生きるとはそういうことなのだ。
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