耕田院の日常(298回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年06月21日(水)
想像力がないと、ゴミ袋一つの重さの「本当」がわからないということについて考えた。 輪橋山徒然話 2023/6/5
◆昨日の話は、人間は死に至るまで何年もかけて脳の活動を少しずつ停止し、そして死んでいく。我々の脳には「楽に逝くためのプログラム」があると。それが「ボケ」とか認知症と言われるもので、脳は予め寿命を知っていて、死に向かって、楽に逝くためのプログラムを発動し、それが、ゆっくりと進んでいくのだと黒川伊保子さんのお話。今日も…。
◆結婚当初からゴミの当番をしていた。今ではそのようなことはないが、その頃、町内でゴミステーションに持っていく男性などいなかった。だから、朝早く、日の昇る頃、いの一番で捨てていた。感心な奴だと自分では思っていた。
◆あるときは、某中学の大量の学力テスト用紙が置いてあったり、発行していない広報誌が何百部もあったりした。別の町内の人が置いていったのだろう。ゴミはゴミステーションに置けば、それで終わり。今では考えられない時代だった。
◆そのうちゴミステーションが町内一箇所に移動した。すると、わずかな距離を車に乗せて運ぶようになった。
◆今は土日と水曜日のゴミ収集はなく、月木が「燃えるゴミ」火曜日が「缶など」金曜日「プラ」である。だから、私は週の真ん中の水曜日は、水曜と呼ばす「ゴミのない日」と呼ぶ。
◆もしも、「楽に逝くためのプログラム」が発動され、「私のボケ」が始まっても、「ゴミのない日」だけは最期までわかっているような気がする。
◆それほど大切な役割だと思っていた。しかし、それは全くの幻想であることを知った。
◆黒川伊保子さんの「妻のトリセツ」に次のようにあったのだ。
◆「たとえばゴミ捨てを例に取ると、仕事は玄関からゴミ捨て場まで運ぶだけではありません」と。
分別種類ごとの収集日を確認して、ゴミを分別。各部屋にあるゴミ箱から分別済みのゴミを袋に入れたら、ゴミ袋の口をしっかり結んでゴミ捨て場に持っていきます。帰ってきたら、新しいゴミ袋をゴミ箱にセットするという作業も残っています。ところが夫が担うのは、「ゴミ捨て場に持っていく」部分だけ。ゴミ捨てという一連の家事のほんの一部に過ぎず、その他はほとんど妻がやっているのが現状なのです。
◆しかし、残念なことに男性は目の前の観察力が低く、「名もなき家事」が本当に見えておらず、それを妻が一手に引き受けているということ…。
◆私のこと…?
◆つまり、ゴミ捨てはゴミを捨てに持っていくまでに多くの手順があり、それをこなさなければ持っていく袋などはないということには何十年も思いが及ばなかった。
◆そう言えば「男の料理」は結婚した当初断られ、テレビのCMと同じに洗剤をかけて流す風呂掃除も断られている。理由は「名もなき家事」が増えるだけだったのだろう。風呂は毎日天井まで洗い、水垢がつかないように、鏡や蛇口を洗い、拭くのだそうだ。
◆そして、お寺はそれこそ「名もなき家事・作務」が膨大である。午前中は手に小さなモップと雑巾を持って歩き回っている。たぶん、「名もなき家事」をルーティーンにして日々こなしているのだろう。
◆大変なことに気がついてしまった。
◆瀬戸内寂聴さんも戒める。
「勉強は食事と同じです。心もいろいろな栄養を取らないと栄養失調になります。人間が心の栄養失調になると、想像力が乏しくなり -略- 自分が幸せか不幸なのかさえ、判断がつかなくなるのです」
◆想像力がないと、ゴミ袋一つの重さの「本当」がわからないということだ。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆昨日の話は、人間は死に至るまで何年もかけて脳の活動を少しずつ停止し、そして死んでいく。我々の脳には「楽に逝くためのプログラム」があると。それが「ボケ」とか認知症と言われるもので、脳は予め寿命を知っていて、死に向かって、楽に逝くためのプログラムを発動し、それが、ゆっくりと進んでいくのだと黒川伊保子さんのお話。今日も…。
◆結婚当初からゴミの当番をしていた。今ではそのようなことはないが、その頃、町内でゴミステーションに持っていく男性などいなかった。だから、朝早く、日の昇る頃、いの一番で捨てていた。感心な奴だと自分では思っていた。
◆あるときは、某中学の大量の学力テスト用紙が置いてあったり、発行していない広報誌が何百部もあったりした。別の町内の人が置いていったのだろう。ゴミはゴミステーションに置けば、それで終わり。今では考えられない時代だった。
◆そのうちゴミステーションが町内一箇所に移動した。すると、わずかな距離を車に乗せて運ぶようになった。
◆今は土日と水曜日のゴミ収集はなく、月木が「燃えるゴミ」火曜日が「缶など」金曜日「プラ」である。だから、私は週の真ん中の水曜日は、水曜と呼ばす「ゴミのない日」と呼ぶ。
◆もしも、「楽に逝くためのプログラム」が発動され、「私のボケ」が始まっても、「ゴミのない日」だけは最期までわかっているような気がする。
◆それほど大切な役割だと思っていた。しかし、それは全くの幻想であることを知った。
◆黒川伊保子さんの「妻のトリセツ」に次のようにあったのだ。
◆「たとえばゴミ捨てを例に取ると、仕事は玄関からゴミ捨て場まで運ぶだけではありません」と。
分別種類ごとの収集日を確認して、ゴミを分別。各部屋にあるゴミ箱から分別済みのゴミを袋に入れたら、ゴミ袋の口をしっかり結んでゴミ捨て場に持っていきます。帰ってきたら、新しいゴミ袋をゴミ箱にセットするという作業も残っています。ところが夫が担うのは、「ゴミ捨て場に持っていく」部分だけ。ゴミ捨てという一連の家事のほんの一部に過ぎず、その他はほとんど妻がやっているのが現状なのです。
◆しかし、残念なことに男性は目の前の観察力が低く、「名もなき家事」が本当に見えておらず、それを妻が一手に引き受けているということ…。
◆私のこと…?
◆つまり、ゴミ捨てはゴミを捨てに持っていくまでに多くの手順があり、それをこなさなければ持っていく袋などはないということには何十年も思いが及ばなかった。
◆そう言えば「男の料理」は結婚した当初断られ、テレビのCMと同じに洗剤をかけて流す風呂掃除も断られている。理由は「名もなき家事」が増えるだけだったのだろう。風呂は毎日天井まで洗い、水垢がつかないように、鏡や蛇口を洗い、拭くのだそうだ。
◆そして、お寺はそれこそ「名もなき家事・作務」が膨大である。午前中は手に小さなモップと雑巾を持って歩き回っている。たぶん、「名もなき家事」をルーティーンにして日々こなしているのだろう。
◆大変なことに気がついてしまった。
◆瀬戸内寂聴さんも戒める。
「勉強は食事と同じです。心もいろいろな栄養を取らないと栄養失調になります。人間が心の栄養失調になると、想像力が乏しくなり -略- 自分が幸せか不幸なのかさえ、判断がつかなくなるのです」
◆想像力がないと、ゴミ袋一つの重さの「本当」がわからないということだ。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。
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すてき
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