耕田院の日常(292回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年06月14日(水)
芥子の実と子どもを亡くした母と六条御息所 輪橋山徒然話2023/5/30
◆昨日は「群れない」「慣れない」「頼らない」が信条の画家・堀文子さんが、81歳でブルーポピーを描くために、ヒマラヤに登り、孤高の花を描いた話。さて、今朝はこのポピー、芥子の実が主役の話を二つ。
◆「ケシ(芥子)の実」とは「ケシの種」のことである。アヘンは、ケシの実から作られるらしい。まず誤解のないように。
◆ケシの実(芥子の種)は、ケシ科ケシ属の一年草の植物の種子を乾燥させたスパイスだ。ゴマよりも小さく、色は黒いものと、白いものがある。これは、アンパンの上に振りかけられたり、七味唐辛子の中にも入っている。後から書くが、ケシの実の香は源氏物語で大事な役目をする。
◆まず、一つ目の話は、「キサー・ゴータミーのこと」といわれる話だ。
キサー・ゴータミーは母親の名前だ。
母親は、男の子を授かった。
母親は、大事に、大事に育てた。
しかし、よちよち歩きの頃に男の子は死んでしまう。
子どもを亡くし嘆き悲しむ母親。
悲しみに打ちひしがれる母親。
実は、この時まで、この母親は死というものを見たことがなかった。
身近な人の「死」を経験していなかったのだ。
だから、母親は息子の亡骸の火葬を拒んだ。
母親は息子を生き返らせる薬があるはずだと薬を求めて訪ね歩く。
母親は、薬を求めて釈尊のもとにたどりつく。
釈尊は「白いケシの実」一つかみもらってくるようにと母親に言う。さすれば生き返りの薬を作ってやると。
ただし、息子、娘、誰も死んだものがない家。つまり、一人も死人が出たことのない家の「白いケシの実」でなければならないと。
「この家に白ケシの実の種かはありますか」
「息子さん、娘さん、死んだ人はいませんね。」と、歩いた。
「何をいっている。この世は生きている人は実に少なく,死んだ人の方が多いのですよ。」
母親は気が付く。
「ああ、なんと恐ろしいこと。自分の子どもだけが死んだのだと思っていた。しかし、実際は、死者のほうが生きている人よりずっと多いのだ」と。
◆死はどこの家にもあることに気づかされたという話だ。悲しみは自分だけの悲しみではないのだ。抱き抱えていた亡骸は森に置き、お釈迦さまの所に向かったという。
◆キサー・ゴータミーはお釈迦さまのお弟子となられる。
◆二つ目の話は源氏物語から。
◆瀬戸内寂聴さんが現代語に訳した「瀬戸内源氏」全10巻がある。「葵」章に「芥子(けし)の匂い」は、悪霊を退散させるための加持に用いる香として登場する。
以下瀬戸内寂聴訳で
左大臣家では、葵の上に物の怪がさかんに現れて、その度、御病人はたいそうお苦しみになります。六条の御息所は、それを御自身の生霊とか、亡き父大臣の死霊などと、噂している者があるとお聞きになるにつけて、あれこれと考えつづけてごらんになります。-略-
けれども人はあまり悩みつづけると自分で知らない間に、魂が体から抜け出してさ迷い離れていくといわれているから、あの方にとり憑いていたのかもしれないと、思い当たる節もあるのでした。
ある日六条御息所は身に覚えのない芥子の匂いが髪や衣服に染み付いているので、六条御息所はこの香りが身体中に染み付き取れないことから自分が生霊であると自覚します。
◆キサー・ゴータミーは「失われた子どもの命へ執着」の話であり、源氏物語は、「光源氏」への執着である。
◆『千年の恋 ひかる源氏物語』では紫式部 (吉永小百合)光源氏(天海祐希)藤壺中宮、桐壺更衣(高島礼子)そして六条御息所(竹下景子)のキャストだった。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆昨日は「群れない」「慣れない」「頼らない」が信条の画家・堀文子さんが、81歳でブルーポピーを描くために、ヒマラヤに登り、孤高の花を描いた話。さて、今朝はこのポピー、芥子の実が主役の話を二つ。
◆「ケシ(芥子)の実」とは「ケシの種」のことである。アヘンは、ケシの実から作られるらしい。まず誤解のないように。
◆ケシの実(芥子の種)は、ケシ科ケシ属の一年草の植物の種子を乾燥させたスパイスだ。ゴマよりも小さく、色は黒いものと、白いものがある。これは、アンパンの上に振りかけられたり、七味唐辛子の中にも入っている。後から書くが、ケシの実の香は源氏物語で大事な役目をする。
◆まず、一つ目の話は、「キサー・ゴータミーのこと」といわれる話だ。
キサー・ゴータミーは母親の名前だ。
母親は、男の子を授かった。
母親は、大事に、大事に育てた。
しかし、よちよち歩きの頃に男の子は死んでしまう。
子どもを亡くし嘆き悲しむ母親。
悲しみに打ちひしがれる母親。
実は、この時まで、この母親は死というものを見たことがなかった。
身近な人の「死」を経験していなかったのだ。
だから、母親は息子の亡骸の火葬を拒んだ。
母親は息子を生き返らせる薬があるはずだと薬を求めて訪ね歩く。
母親は、薬を求めて釈尊のもとにたどりつく。
釈尊は「白いケシの実」一つかみもらってくるようにと母親に言う。さすれば生き返りの薬を作ってやると。
ただし、息子、娘、誰も死んだものがない家。つまり、一人も死人が出たことのない家の「白いケシの実」でなければならないと。
「この家に白ケシの実の種かはありますか」
「息子さん、娘さん、死んだ人はいませんね。」と、歩いた。
「何をいっている。この世は生きている人は実に少なく,死んだ人の方が多いのですよ。」
母親は気が付く。
「ああ、なんと恐ろしいこと。自分の子どもだけが死んだのだと思っていた。しかし、実際は、死者のほうが生きている人よりずっと多いのだ」と。
◆死はどこの家にもあることに気づかされたという話だ。悲しみは自分だけの悲しみではないのだ。抱き抱えていた亡骸は森に置き、お釈迦さまの所に向かったという。
◆キサー・ゴータミーはお釈迦さまのお弟子となられる。
◆二つ目の話は源氏物語から。
◆瀬戸内寂聴さんが現代語に訳した「瀬戸内源氏」全10巻がある。「葵」章に「芥子(けし)の匂い」は、悪霊を退散させるための加持に用いる香として登場する。
以下瀬戸内寂聴訳で
左大臣家では、葵の上に物の怪がさかんに現れて、その度、御病人はたいそうお苦しみになります。六条の御息所は、それを御自身の生霊とか、亡き父大臣の死霊などと、噂している者があるとお聞きになるにつけて、あれこれと考えつづけてごらんになります。-略-
けれども人はあまり悩みつづけると自分で知らない間に、魂が体から抜け出してさ迷い離れていくといわれているから、あの方にとり憑いていたのかもしれないと、思い当たる節もあるのでした。
ある日六条御息所は身に覚えのない芥子の匂いが髪や衣服に染み付いているので、六条御息所はこの香りが身体中に染み付き取れないことから自分が生霊であると自覚します。
◆キサー・ゴータミーは「失われた子どもの命へ執着」の話であり、源氏物語は、「光源氏」への執着である。
◆『千年の恋 ひかる源氏物語』では紫式部 (吉永小百合)光源氏(天海祐希)藤壺中宮、桐壺更衣(高島礼子)そして六条御息所(竹下景子)のキャストだった。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。
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