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耕田院の日常(287回目)山形県羽前大山駅

「悲しみのゴリラ」

投稿日:2023年06月09日(金)
「悲しみのゴリラ」を読んで、亡き者の魂と通じ合う本当の供養とは何か考えた。
輪橋山徒然話 2023/5/25

◆ママを亡くした男の子に「悲しみのゴリラ」が寄り添い、やさしく男の子を包み込み、問いに答えていく。

◆『悲しみのゴリラ』という絵本だ。

男の子    「僕のママ 死んだんだよ 」
悲しみのゴリラ「そうだね、知っているよ」

男の子    「死んだってどうやってわかるの 」
悲しみのゴリラ「体が動かなくなるんだよ」

男の子    「心臓が止まるとか」
悲しみのゴリラ「そうだよ」

◆悲しみのゴリラとの対話の中でママの死を乗り越えていく。

『悲しみのゴリラ』。(ジャッキー・アズーア・クレイマー作、シンディ・ダービー絵、落合恵子訳、クレヨンハウス)

◆鎌田實先生が「この国の壁」(潮新書)で紹介している絵本の一冊だ。

男の子は問う。そして、悲しみのゴリラは答えていく。

男の子    「みんな死ぬの」
悲しみのゴリラ「そう。だれだって、いつかは死ぬんだ...」

男の子「ママはどこにいるの」
「ママはもう 帰ってこないんだよね」

悲しみのゴリラは諭す。
「そうだね。でもいつかは君もわかるよ。ママはいつも一緒に居るんだって」

男の子は問う。
「いつになったら悲しくなくなるの」
悲しみのゴリラは答える
「ママがずっと一緒にいると分かった時だよ」

◆やがて、男の子は「ママがずっと一緒にいる」ことに気がついていく。そして、男の子の目はパパへも向けられていく…。

◆幼くても少年のように残されるもの、そのママのように愛するものを遺していくもの。生きていく上で一番の苦しみは愛する者との別れの苦しみである。愛別離苦という。

◆弘法大師の教えがある。

朝夕涙を流し
日夜に慟(いたみ)を含むといえども
亡き魂に益なし

◆毎日、 あるに夕に涙を流し、昼も夜も嘆き悲しんでいても、亡くなった人の魂には何の益もないという意味だ。

◆それでは、魂を慰めるにはどうしたらいいのか。遺されしもののあり方を瀬戸内寂聴さんがご法話で話されている。

残された人は嘆き悲しんでばかりいないで平常心を取り戻し、健康でよく働き、そして幸せに生きることが、何よりも先に亡くなった人の魂を慰めることになるのです。

さらに、一つ付け加えるとすれば、亡くなった人をいつまでも忘れないで、折に触れて思い出してあげてください。

先に亡くなった人は、後に残した人のことを忘れません。いつも近くから見つめてくれているのです。残された人は生きるのに忙しいからつい忘れてしまいます。その忙しい生活の中で亡くなった人を思い出すと心と魂が通じ合う。それが本当の供養になるのです。

◆男の子のママは、後に残した人のことを忘れない。目には見えないけれどもそこにいる。先に逝ってしまったあの人も人を思い出すと通じ合える。これが供養なのだ。

◆だから、男の子はママが遺した宝物に気がつく。「ママも僕も野球が好きだ」ということ。「ママと僕とでヒナギクを植えたこと」。そして、パパが教えてくれた「わらうとママそっくりだ」ということ。

◆悲しみのゴリラは何ともあたたかい絵本だ。是非手に取って頂きたい。

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耕田院(山形県)

すてき

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