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耕田院の日常(285回目)山形県羽前大山駅

白牡丹は「仏法の花」

投稿日:2023年06月07日(水)
白い牡丹のようにはいかないけれど、マスクをはずし「和顔施(わがんせ)」で
祭りが始まる
顔を隠して酒を注ぐ。
一年一度の無礼講がこの祭の肝だ。

明後日の25日。ここ鶴岡での天神祭という奇祭。

◆老いも若きも、男も女のも、派手な花模様の長襦袢に角帯を締め、尻をからげ、手ぬぐいと編み笠で顔を隠し、手にとっくりと盃を持ち、無言で酒を振る舞う。通称「化けものまつり」。

◆この祭は天神さん。菅原道真公を祀っている。

◆この道真公が「菅家文章」で今日のテーマである白牡丹を「仏法の花」と讃えている。

白牡丹は仏法の花なのだ。
地上に薄雲が寄り集まっているかのように
まだ時ならぬ雪の寒さを思わせる
花をめぐりながら心に生まれた念願はなんだろうか。
白い花の清浄さによって心をそそぎたい。   (意訳)          

◆「仏法の花」という意味では次の俳句もある。

日に月に人に顔施の白牡丹  木内彰志 (厚木市観音寺住職1935 〜 2006)

◆ここでいう「顔施」とは、彩(いろどり)を添えることだ。

◆白牡丹と太陽にも月にも、そして人にも彩を添えるとは一体どういうことだろう。

◆赤いボタンではなく、白牡丹に意味があると思う。太陽と月と大輪の白牡丹、その白さが光に照らされ、より際立ち、初夏の清々しさを感じるということだと思う。

◆そして、人に顔施の白牡丹は「無財の七施」の「和顔施(わがんせ)」だ。「和顔施」は、相手に笑顔を施すこと。いつもニコニコしていれば、周囲も笑顔になって幸せな気持ちが広がっていく。感情は伝染する。笑顔も怒りも悲しみも、だ。時には指数関数的に…。だからこそ、いつでも、どこでも、「キツイ」時にこそ、「人に和顔施」だと。それが、顔施の白牡丹ということだ。それが貴方の「彩」になる。

◆さて「和顔施」は「無財の七施」の一つだ。「無財」すなわちお金や地位がなくてもできる布施のことだ。

「和顔施」以外では次のようになる。

眼施:好ましい眼差しで見る。
言辞施:柔らかい言葉遣いをすること。
身施:立って迎えて礼拝する。身体奉仕。
心施:柔らかな心。
床座施:座る場所を譲ること
房舍施:家屋の中で自由に、行・来・座・臥を得させること。

「無財の七施」とは日々の心がけ、生き方ということだ。

◆さて、瀬戸内寂聴さんも「人に和顔施」。笑顔をすすめる。

不幸は悲しい顔が好き。
幸せは笑顔が大好きよ!ニコニコしてたらいいことがあります

その通り。

◆さてマスクなし生活にはなれただろうか。私はまだまだ。親不知の抜けた後の穴も塞がらない。たぶん今も苦虫を噛み潰した顔だ。

いつもにこにこ。オンハラタテマイゾヤソワカ

◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
耕田院(山形県)

すてき

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