耕田院の日常(270回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年05月11日(木)
輪橋山徒然話 2023/5/8
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね
私のおかあさんになることがきまっていたんだね
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。 是松いずみ
是松いずみ先生が授業の最後に読む詩から
◆瀬戸内寂聴さんに母子を導く言葉がある。
『子どもと目線を同じにして対等に話をしてください。大人は皆、上から物を言い過ぎます。そして、世の中は生きる価値があると感じてもらえるように、大人が努力しましょう。』
◆子育ては子どもと親が共に歩み、成長するということである。頭ごなしに言うのではなく、教育書の通りでもない。何より子どもの目線で語りかければいい。もっと自信をもってこれから何十年と続く親子の縁を楽しんでいけばよいということだ。
◆昨日の続き、福岡県の是松いずみ先生の「あずさからのメッセージ」。授業化のきっかけは、障がいのある子がいじめに遭い、多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなる事件があったからだという。障がい児を持った親として、また一人の教員として伝えていかなくてはならないことがあると強く感じたからだという。
◆さて、「将来はたくさんの子供が欲しい。もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」と話す娘さんに「もしそうだとしたらどうする?」と尋ねると、娘は言った。
「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」
◆昨日はここまでだった。
◆さて、本日は「先生自身」がクラスの子供たちから教わったことから始めよう。
◆「(親として)成長に伴う喜びと不安」にはどんなものがあるかを、小五の子どもに問うた。
◆実際の授業場面では、黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、下半分に不安に思われることを板書したそうだ。
◆下半分には次のような不安が並んだ。
中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。
◆ところが、である。将来に対する不安が次々と挙げられる中、こんな発言があったそうだ。
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」。
「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、分かるようになればそれが喜びになる。意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」
◆この瞬間先生自身の教育観までを大きく揺さぶられたそうだ。「これまで二つの感情を分けて考えていたことは果たしてよかったのだろうか」と。「不安」があっての初めて「喜び」なのだと教えられたのだ。
◆さて、授業後の子どもたちの「声」は以下の通りだった。
「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、きょうの授業を思い出してしっかり育てていきます」
「町で障がいのある人に出会ったら自分にできることはないか考えてみたい」
◆そんな「声」の中に、こんな感想も混じっていたという。
「私の妹は実は障がい児学級(特別支援学級)に通っています。凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。でも、きょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」
◆変容だ。つまり、成長。
◆その日の晩、ご家族の方から学校へ電話があったという。子の成長を認める親の電話だ。
「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、“梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、あの子が言ってくれたんです……」
あなたの息子はあなたの娘は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。
生意気な僕を
叱ってくれるから
無視した私を
諭してくれるから
(略)
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね
私のおかあさんになることがきまっていたんだね
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。
◆上の娘から「夫との馴初め」を尋ねられ、お互いに学生時代、障がい児施設でボランティアをしていたからと答えたところ、「あぁ、お母さんはずっと梓のお母さんになる準備をしていたんだね」と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩だ。
※ 『致知』2013年2月号 致知随想を参考にしました。ありがとうございました。
◆いつもニコニコ。一筆啓上付箋写経
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね
私のおかあさんになることがきまっていたんだね
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。 是松いずみ
是松いずみ先生が授業の最後に読む詩から
◆瀬戸内寂聴さんに母子を導く言葉がある。
『子どもと目線を同じにして対等に話をしてください。大人は皆、上から物を言い過ぎます。そして、世の中は生きる価値があると感じてもらえるように、大人が努力しましょう。』
◆子育ては子どもと親が共に歩み、成長するということである。頭ごなしに言うのではなく、教育書の通りでもない。何より子どもの目線で語りかければいい。もっと自信をもってこれから何十年と続く親子の縁を楽しんでいけばよいということだ。
◆昨日の続き、福岡県の是松いずみ先生の「あずさからのメッセージ」。授業化のきっかけは、障がいのある子がいじめに遭い、多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなる事件があったからだという。障がい児を持った親として、また一人の教員として伝えていかなくてはならないことがあると強く感じたからだという。
◆さて、「将来はたくさんの子供が欲しい。もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」と話す娘さんに「もしそうだとしたらどうする?」と尋ねると、娘は言った。
「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」
◆昨日はここまでだった。
◆さて、本日は「先生自身」がクラスの子供たちから教わったことから始めよう。
◆「(親として)成長に伴う喜びと不安」にはどんなものがあるかを、小五の子どもに問うた。
◆実際の授業場面では、黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、下半分に不安に思われることを板書したそうだ。
◆下半分には次のような不安が並んだ。
中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。
◆ところが、である。将来に対する不安が次々と挙げられる中、こんな発言があったそうだ。
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」。
「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、分かるようになればそれが喜びになる。意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」
◆この瞬間先生自身の教育観までを大きく揺さぶられたそうだ。「これまで二つの感情を分けて考えていたことは果たしてよかったのだろうか」と。「不安」があっての初めて「喜び」なのだと教えられたのだ。
◆さて、授業後の子どもたちの「声」は以下の通りだった。
「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、きょうの授業を思い出してしっかり育てていきます」
「町で障がいのある人に出会ったら自分にできることはないか考えてみたい」
◆そんな「声」の中に、こんな感想も混じっていたという。
「私の妹は実は障がい児学級(特別支援学級)に通っています。凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。でも、きょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」
◆変容だ。つまり、成長。
◆その日の晩、ご家族の方から学校へ電話があったという。子の成長を認める親の電話だ。
「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、“梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、あの子が言ってくれたんです……」
あなたの息子はあなたの娘は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。
生意気な僕を
叱ってくれるから
無視した私を
諭してくれるから
(略)
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね
私のおかあさんになることがきまっていたんだね
だから、ぼくは、私は、
あなたの子どもになりたくて生まれてきました。
◆上の娘から「夫との馴初め」を尋ねられ、お互いに学生時代、障がい児施設でボランティアをしていたからと答えたところ、「あぁ、お母さんはずっと梓のお母さんになる準備をしていたんだね」と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩だ。
※ 『致知』2013年2月号 致知随想を参考にしました。ありがとうございました。
◆いつもニコニコ。一筆啓上付箋写経
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。