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耕田院の日常(262回目)山形県羽前大山駅

「ほら琴風四股を200回踏め」

投稿日:2023年04月30日(日)
◆親方日の丸とはどんな意味なのだろうと思い調べてみた。

◆親方が日の丸、すなわち国家だから、どんな事が起こっても安全だということ。国が守ってくれるということ。

「?」

◆つまりは、国のお膝元にいれば大丈夫だということ。しかし、現在では、依存心を揶揄する言葉。背景にはやはり国家が弱くなったということがありそうだ。

◆心配なことがある。この親方・師匠は絶滅危惧種になりはしないかということだ。

◆親方・師匠と弟子には絶対の上下関係か前提だ。しかし、この関係を維持するのが昔ほど簡単ではない。このままでは、親方のいない職人。師匠のない落語家そんなことになりはしないかということだ。

◆楽をして強くなれるわけはないし、努力なしに、修行なしに名人になれるわけはない。こと技術や伝統、法を伝えるためには、そこには必ず師弟関係というものがなければならないのに、だ。

◆さて、どの世界の、一流の師弟関係は厳しいと思うのだが、勝負の厳しさを教える大相撲は格別だ。

◆尾車浩一さんは、大相撲の大関琴風で元尾車親方だ。

◆現役時代の稽古を次のように語っている。

親方に「ほら琴風四股を200回踏め」と言われると200回踏んだ後に、「おふくろのためにもう20回」「俺の出世を待っているおばあちゃんのために20回」と、そうやって四股を踏んできたんですよ。それがプロの世界、競争の世界です。

◆親方になってからはこう言い聞かせたそうだ。

だから弟子たちにも言うんです。稽古が終わった後、礼儀として親方である私に「どうもごつあんでした」と挨拶にくる。その時、「ここまではお前がやったんじゃないよ。親方が言うからやったんでしょ。ここまではやらされたんだ。ここからお前が誰のために頑張るかだよ。」と。 一日10回余計に四股を踏む。一年で3650回です。この3650回を大晦日に 一日で取り戻せませんよ。この少しの差が人との差になるんです。

◆中には、部屋から中学に通う子どももいた。親方は我が子として、弟子を強くしたいと教えるのは、勝負の厳しさ「稽古に泣いて土俵に笑う」ということだ。それとともに「人としての生き方」を教えた。

◆しかし、親方も師匠も熱血指導が難しくなってきた時代である。

◆やれ、パワハラだのと暴力だのとスポーツ強豪校の監督の体罰もあいかわらずだ。昔、自分たちが受けてきたことが通るわけなどないのだ。そのことがわからずに、昔と同じ方法でやろうとすると落とし穴に落ちることになる。

◆その道に厳しくあれ、弟子に見透かされるような親方・師匠ではならないということだ。
どんな世の中でも10年飯を食わせてくれるものなどないのだ。親方・師匠としての更なる探究心が弟子を惹きつけるのだろうと思う。とすれば、足りないのはやはり日々の勉強だ。恫喝ではないのだ。

◆親方と弟子は共に同じ道を歩くもの同士。先に行くのが親方で師匠。それを後から追うのが弟子なのだ。

◆瀬戸内寂聴さんもいう。

生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。

寂聴さんの言葉で大好き好きな言葉の一つだ。

◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経。lit.link/oyama1049
耕田院(山形県)

すてき

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