耕田院の日常(251回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年04月19日(水)
◆例年よりずっと早く咲き、途中で霰と雨にさらされ、あっという間の桜の季節だった。
◆「さくら さくら さくら」9音から始まって、きっちり31音。5・7・5・7・7にとらわれず、今年の「さくら」は今年の「さくら」。
さくら さくら さくら 咲き始め咲き終わり 何もなかったような公園 俵万智
◆今年もこの街から何人もの若者が旅立ったことだろう。幸多かれと祈らずにはいられない。
散るという飛翔のかたち 花びらは ふと微笑んで 花を離れる 俵万智
「ふと微笑んで」5枚の花びらがそれぞれ旅立つ。例年は葉桜になるのだが、葉が出るのが遅れている。そのためか桜の実が赤く色づいている。
◆まど・みちおさんにこんな詩がある。
さくらの はなびら
まど・みちお
えだを はなれて
ひとひら
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
◆「ぞうさん」のまど みちおさんだ。すべてひらがなで書かれている。まどさんのやさしい世界である。
◆「さくらの はなびらが じめんに たどりついた いま おわった」とは映像として想像できる情景だ。散り終わったのだ。さくらの花の命か終わったのだ。
◆では、「そして はじまった」とはどういうことなのだろう。
◆命は終わった時に、次の世代へ受け継がれていく。これを「はじまり」と表現しているのだ。これが自然の営み、季節の移ろい、命のリレーなのだ。
◆そして、このあたりまえすぎることが、より大きな営みの中にもあるとまどさんはいう。「ちきゅう」にとっても「うちゅう」にとっても、あたりまえのことではあるが、かけがえのないことなのだと。そのように、まどさんはうたっているのだ。
◆だから、この詩の最後の最後。省略されている「いま おわったのだ そして はじまったのだ」を加えて読むとより心に響く。
◆「さくら さくら さくら」9音から始まって、きっちり31音。5・7・5・7・7にとらわれず、今年の「さくら」は今年の「さくら」。
さくら さくら さくら 咲き始め咲き終わり 何もなかったような公園 俵万智
◆今年もこの街から何人もの若者が旅立ったことだろう。幸多かれと祈らずにはいられない。
散るという飛翔のかたち 花びらは ふと微笑んで 花を離れる 俵万智
「ふと微笑んで」5枚の花びらがそれぞれ旅立つ。例年は葉桜になるのだが、葉が出るのが遅れている。そのためか桜の実が赤く色づいている。
◆まど・みちおさんにこんな詩がある。
さくらの はなびら
まど・みちお
えだを はなれて
ひとひら
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
◆「ぞうさん」のまど みちおさんだ。すべてひらがなで書かれている。まどさんのやさしい世界である。
◆「さくらの はなびらが じめんに たどりついた いま おわった」とは映像として想像できる情景だ。散り終わったのだ。さくらの花の命か終わったのだ。
◆では、「そして はじまった」とはどういうことなのだろう。
◆命は終わった時に、次の世代へ受け継がれていく。これを「はじまり」と表現しているのだ。これが自然の営み、季節の移ろい、命のリレーなのだ。
◆そして、このあたりまえすぎることが、より大きな営みの中にもあるとまどさんはいう。「ちきゅう」にとっても「うちゅう」にとっても、あたりまえのことではあるが、かけがえのないことなのだと。そのように、まどさんはうたっているのだ。
◆だから、この詩の最後の最後。省略されている「いま おわったのだ そして はじまったのだ」を加えて読むとより心に響く。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。