耕田院の日常(243回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年04月10日(月)
◆気分を変える、心持ちを変える「術」について考える。
◆心がざわざわしたとき「誰でも、いつでも、短時間でできる付箋写経のすすめ」とか「「深呼吸」「曽祖母のおまじない」「目線を転ずる柔軟心(にゅうなんしん)」「背中の取り扱い」そして「オンニコニコ」などいくつか清々しく生きるための「術」を話題にしてきた。
◆今日はもう一つ紹介しようと思う。
◆コロナ禍前は、どちらかといえばエチケットとして手を洗っていた。しかし、コロナ禍になり、目に見えないウイルスを落とすという目的で手を洗うようになった。私なども、以前は手が汚れたから手を洗うという感覚だったが、コロナ禍になり、何かしたら手を洗うと言うように、手洗いの位置づけが少し変った。
◆例えば 帰宅したら手を洗う。食事の前に手を洗う。食事が終ったら手を洗う。就寝前に手を洗う。インスタの投稿を書き終わったら手を洗う。等々だ。つまり一つ一つのことをやめる時、あるいは何かを始める時に「手洗い」をするという習慣がついたのだ。もはや、ルーティーンだ。
◆最近お湯の季節が終わり、水で洗う。ふと、その冷たさが心地よかった。「あれ」と思った。手を洗って、こんなに気持ち良いと思ったのは初めてだ。手を洗う間、いや、水に触れている間、心もともにリフレッシュされていることに気がついた。手洗いでも、心と身体を同期させるという感覚をもった。
◆そうか、深呼吸と同じだ。手を洗うという体から心へのアプローチになりうるのだ。ただし、そう意識すれば、そう意味づければで、ある。
◆例えば心配事があると簡単に気分を変えることは難しい。気分転換しようと思っても、また、マイナスの方向に気持ちは向かってしまう。人は嫌な方向・心配事に向かうようにできている。それは、チンパンジーにはない人間に備わった生きる為の危機管理能力だ。そう理解して、ひとまずそこから離れるための術として「手洗い」も優れた術だ。水の冷たさに神経を集中して、水とともに今のわだかまった感情を洗い流すのだ。
◆手洗いは心の洗濯だ。コロナウイルスを落とすだけではもったいない。
寂聴さんもにこにこ 一筆啓上付箋写経
◆心がざわざわしたとき「誰でも、いつでも、短時間でできる付箋写経のすすめ」とか「「深呼吸」「曽祖母のおまじない」「目線を転ずる柔軟心(にゅうなんしん)」「背中の取り扱い」そして「オンニコニコ」などいくつか清々しく生きるための「術」を話題にしてきた。
◆今日はもう一つ紹介しようと思う。
◆コロナ禍前は、どちらかといえばエチケットとして手を洗っていた。しかし、コロナ禍になり、目に見えないウイルスを落とすという目的で手を洗うようになった。私なども、以前は手が汚れたから手を洗うという感覚だったが、コロナ禍になり、何かしたら手を洗うと言うように、手洗いの位置づけが少し変った。
◆例えば 帰宅したら手を洗う。食事の前に手を洗う。食事が終ったら手を洗う。就寝前に手を洗う。インスタの投稿を書き終わったら手を洗う。等々だ。つまり一つ一つのことをやめる時、あるいは何かを始める時に「手洗い」をするという習慣がついたのだ。もはや、ルーティーンだ。
◆最近お湯の季節が終わり、水で洗う。ふと、その冷たさが心地よかった。「あれ」と思った。手を洗って、こんなに気持ち良いと思ったのは初めてだ。手を洗う間、いや、水に触れている間、心もともにリフレッシュされていることに気がついた。手洗いでも、心と身体を同期させるという感覚をもった。
◆そうか、深呼吸と同じだ。手を洗うという体から心へのアプローチになりうるのだ。ただし、そう意識すれば、そう意味づければで、ある。
◆例えば心配事があると簡単に気分を変えることは難しい。気分転換しようと思っても、また、マイナスの方向に気持ちは向かってしまう。人は嫌な方向・心配事に向かうようにできている。それは、チンパンジーにはない人間に備わった生きる為の危機管理能力だ。そう理解して、ひとまずそこから離れるための術として「手洗い」も優れた術だ。水の冷たさに神経を集中して、水とともに今のわだかまった感情を洗い流すのだ。
◆手洗いは心の洗濯だ。コロナウイルスを落とすだけではもったいない。
寂聴さんもにこにこ 一筆啓上付箋写経
すてき
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