御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

耕田院の日常(223回目)山形県羽前大山駅

「ほっこり話」と「我利我利亡者」

投稿日:2023年03月20日(月)
◆今朝は、バス停留所で起こった「ほっこり話」と「我利我利亡者」について考える。

◆こんな話を聞いた。

◆それは、小雨の寒い日のことだったそうだ。

その方は話はじめた。

いつものバス停留所。
あいにくの長い列。
バスが入って来た。
ずいぶんと混んでいるようだ。
全員乗れそうもない。
乗れたとしても五、六人だろうか。

その時、列の一番後ろにお年寄りが並んだそうだ。

すると、ちょっと振り向き、一番後ろの若者が言った。

「お先にどうぞ。」
お年寄りはちょっと驚いた顔をして、
「ありがとうございます。」

そうしたら、 その前に並んでいた女性も
「お先にどうぞ。」
「ありがとうございます。」

前に並ぶ人たちはどの人もにこにこと笑って、そのお年寄りを最前列までに押し上げた。お年寄りは、これはこれはと頭を下げて、バスに乗ることができた。

するとどだろう。バスの中でも、お年寄りは「ここにどうぞ」と席を譲られた。

「お先にどうぞ」がつながった小さな奇跡・ファインプレーだ。みんなほっこりした気持ちになったろう。

いつの間にか冷たい雨が上がって、虹がでた。
という話だ。

◆私はこの話を聞いて、我利我利(がりがり)亡者の登場する「極楽の箸はなぜ長いのか」を思い出した。

◆「自利利他」の自利とは自分の利益(りやく)のこと。利他とは他人の利益のことをいう。その「自利利他」と反対の意味を持つのが、「我利我利」だ。欲の心や、怒りの心、恨みの心や妬みの心の本性がこの「我利我利」だ。そう、我利我利は、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考えなのだ。

◆舞台は地獄の食堂だ。

◆地獄も極楽も食卓には大変なごちそう。箸も同じ。ただし長さが三尺三寸。地獄の住人はご馳走を前にして上手に食べられずに怒っている。なにせ、箸の長さが三尺三寸。99.99cm。隣の人にぶつかり大げんかとなる。ご馳走を前にして一口も食べられない。喧嘩と争い。地獄に落ちた「我利我利亡者」だ。

◆一方、極楽の食堂では、極楽の住人は長い箸を上手に使って向かい側のテープルの人に食べさせてあげている。「お先にどうぞ」これが「自利利他」。「ありがとう。おいしいね。」今度はあなたがどうぞ。

◆このお話のとおり、「自利利他」は、まず、先に他人を喜ばせる、すると次は幸せが自分に返ってくることなのだ。つまり、「人のため」が「自分を救うこと」になるのだ。

◆「我利我利」はその逆で、「人の不幸」が自分に返ってくるのだ。つまり、他人を苦しめることは、結局のところ自分を苦しめることなのだ。

◆幸せな人生は、一人では成すことはできない。自分だけが、バスに乗れば幸せということはないのだ。情けは人の為ならずなのだ。

今日もニコニコ ハラタテマイゾヤソワヤ ソワカ。

右と言えば右に、左と言えば左に動くという生きた改造昆虫サイボーグゴキブリの憂鬱 https://bit.ly/3Zmbtwh
耕田院の自然

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
耕田院のお知らせをもっと見る430件
コメント
お問い合わせ